息つき竹の話
門部:陸奥・常陸編:2011.07.20
平成二十三年七月に茨城県稲敷郡の美浦村を散策した際に、下写真のようなものに遭遇した。これは馬掛(まがき)という霞ヶ浦に面した土地に立てられた慰霊碑。霞ヶ浦海軍航空隊の殉職された方を弔う「五勇士追悼碑」なのだけれど、その手前に竹の筒が立てられていた。
一見してこれは「息つき竹」ではなかろうか、と思ったものだが(実際どうなのかは分からない)、もしそうなら大変興味深い例である。息つき竹は以下に述べるように本来「土葬の墓」に立て、「万が一生き返ったとき呼吸ができるように」という理由で立てられることが多かったという。しかし、私はそれは本意ではないだろうと考えており、この「ここには遺体はない」慰霊碑に立てられていることは重要となる。
参考までに、この遭遇以前の考察を以下にまとめておく。
息つき竹
息つぎ竹とも、息つぎ穴とも言う。昔は土葬で、墓と言っても土饅頭のようなものだったのだけれど、そうやって埋葬したあと、この上に節を抜いた六尺くらいの竹を立てた。
息つき竹。茨城県新治郡では、青竹の長さ六尺以上のもの二本の節を抜き、多くは手伝人の一人が持って葬列に加わり、埋葬した土饅頭の中央に立てる。霊の通路とするために必要だったのであろう。
この竹は、やってる当人たちの間では(火葬になったらもうないが)、「万が一生き返った時のために」と言われることが多かったようだ。しかし、同様の発想と思われる「棺の四隅のうち一角には釘を打たない」とか「棺桶から縄を引いて、一端を土の外に出す」といった習俗があるが、これらが生き返った時の対処を本意としているのかというと疑問である。
息つき竹にしても棺桶まで通す例は少なく、ただ土饅頭にさすだけである。生き返ってもそれで息ができるというわけではない。先の『綜合』ではその辺「霊の通路」としているが、より具体的な考察のできそうな事例もある。
宮城県伊具郡小斎村では、息つき竹とも逆さ竹ともいい、棺をかついで行った年嵩の人が、提灯の竹竿を切って垣をし、また埋めた上にも竹を立てる。参ってきた人はその竹のある間、息つき穴の竹をゆすって、墓参にきたことを死者に知らせるのである。一週間くらい毎朝行く。
ということで「息つき竹を通して死者に語りかける」というニュアンスだ。また、この竹に「水を注ぐ」という事を行うところがあるのが興味深い。
福島県磐城郡では、この竹をゆすって「来たよ」といったり、またはその中へ水を注いでやったりしており、千葉県の逆さ竹も墓参のたびに水をそそぎ込んで仏がその音を聞いているとか、その水で咽喉をうるおすのだとかいっているから……
何故水を注ぐのか。墓石に水をかけるのは「死者の咽が渇くといけないから」と言われるが、これは違うかもしれない、と思っている。間に水を介在させて死者との通路を開いているのではないか。このことは別途述べるが、霊魂は「水筋を伝って移動する」ものだと考えられていた可能性が高いのだ(今でも「霊」は水場に集る、などと言う)。
そして、この「息つき竹」は葬儀以外では、「古井戸を埋めたとき」にも、その埋めた井戸の上にも立てられたのだ。井戸は単に水汲み場というだけのものではなく、死者が出たらその井戸に向って「タマヨバイ」を行う、など、「あちら」への通路として古来実感されてきたものだ。井戸に息つき竹を立てる次第はあちらとこちらの通路を塞ぐ際に、急速にシャットアウトするのではなく暫時的に閉じて行かねばならぬ、という感覚があったことを感じさせる。
いずれにしてもこのように「息つき竹」は、「生き返った時の」というようなフィジカルなものというよりも、より形而上的なイメージで立てられていた可能性が高い。また、そう捉えることにより、周辺の「あちらとこちら」への人々の思いが織りなすあれこれの式次第に関係して来るものと思う。
補遺:タマヨバイの周辺
『茨城の民俗3』に収録されている埋葬時の「息つき竹」の話は、論文全体としては弥生時代の甕棺による埋葬時に甕の底に穿孔する風習が広く見られることに絡んで語られていたものだった。つまり、それらは「魂の通路」という発想で同じなのではないか、ということである。
そして、さらにこれに絡んで「魂呼ばい」の際に、「屋根に穴を開け、屋根の上から呼ばう、さらには鏡を使い反射光を遺体にあてる」などの風習が島根出雲にあったことが紹介されていた。で、これは常陸にもあったようだ、というのを別の資料で見つけた。
行方郡北浦村行戸でも、古くは魂呼び返しの風習があった。瓦をはぎ、わら屋根は、わらを抜いて魂を呼ぶ。呼び返された魂は、屋根からはいってくる、と信じられていた。
その他、簡単には「屋根の上に登り、死者の名を呼ぶ」という次第が東茨城郡・西茨城郡から北浦など一定範囲に広がっていたことが記録されている。以前、常南の方では、魂は蛇となり四十九日の間は家の屋根にとどまると信じられていた、という件を紹介したが、多分リンクしているだろう。
さらに木棺になって後も棺に錐で小さな穴をあける(「息穴」という…東茨城郡)なども紹介されている。弥生時代の甕の底の穿孔まで繋がるかはともかく、これらが息つき竹と同一の葬儀の次第だとすれば、やはり息つき竹も「万が一生き返ったとき息ができるように」というものではないと言えるだろう。
息つき竹は一方で即身成仏のために入定する行者の塚に立てる竹との関連も考えられるが、逆に入定塚の竹も「息をするため」が本意なのか、ということにもなる。あれも大概「水を注いだ」という話になるのだ。「魂の行く道」という視点からこの辺総合的に考える必要がある。
息つき竹の話 2011.07.20