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これは社殿の向きにも如実に現われており、若宮神社は正確に月間神社の方を向いている。竹麻神社三座が分裂遷座したのかどうかという点に関しては異論もあるが、分霊にせよ分裂遷座にせよ、この若宮神社が月間神社に由来する物忌奈命を祀る神社である、という点は動かないだろう。南伊豆の神祀りを網羅的に検討したものは足立鍬太郎の『南豆神祇誌』(昭和三年)がほぼ唯一で、その足立は分裂遷座説に懐疑的なのだが、それでも「彼の祭神三座別社の論は肯ひ難いが、後に若宮だけを或は湊に分祀したかもしれぬ。」と述べている[資料4]。分霊・分裂遷座時期は不明だが、「建久三年手石への遷宮の時、物忌奈神を湊へ分祀したものといふ」ともある(出典不明)[資料1]

手石湾周辺
手石湾周辺

いずれにしても現在「式内:竹麻神社三座」といったときは、手石の月間神社・湊の若宮神社・下田市吉佐美の八幡神社相殿(阿波命)の三社がそうであるという比定が一般的である[資料1]。無論他の社を比定する論も数々あるが、それはそれぞれの所で述べよう(青市三島神社を比定する、また下田高馬を基準とする、など)。


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[1]:伊豆神社ノオト(一覧)

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龍学 -dragonology- 2011

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