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次に相殿となる神格に関して。大山祇命・市杵島姫命・倉稲魂命・菅原道真の四座に関しては詳細は解らない。周辺の山神社・弁天社・稲荷社・天満宮が合祀されたのかと思うが、『増訂 豆州志稿』の増訂に「相殿五座ハ近年合祀ス」とあるのみだ[資料2]

興味深いのが残る一座の「少童(小童)命」である。先に述べたように『静岡縣神社志』には相殿五座として記録されており、他に『増訂 豆州志稿』に「少童」とあり、『式内社調査報告』に「境内神社に小童命を祀る。明治二十二年神社明細帳には、物忌奈命を主神に、小童命を相殿としてゐる。」とある[資料1]。現在は本社殿向って右手に祀られており(下写真)、私は見落としてしまったが、「小童神社建立…」と書かれているそうな(web「玄松子の記憶」様)。以下私見となるが、続けて述べよう。

少童(小童)社
少童(小童)社

これの何が興味深いのかと言うと「小童」の記述があることである。「少童」と書いた場合は「わたつみのかみ」のことであり、要は海神のことで、手石の漁師が海神を祀っていたのであろう、ということでさほど問題はない(ただし、この表記で海神を祀る例は伊豆半島東側には見ない)。「小童」が「少童」の誤記であったなら、それで良い。しかし、もし意図的に「少童(わたつみのかみ)ではない」、ことを意味していた場合どうなるだろう。

伊豆三嶋神話では、伊豆諸島を三嶋大神が造島するのだが(これを「伊豆の国焼き」という)、そのさい眷属の「童子」たちが松明を掲げて跳び回り、海を焼いて島を造る。この童子が祀られてきたのではないか、という可能性があるのだ。この事はしっかり覚えておき、より何かヒントになるものが見えて来ることを期待したい。

なお、ここ若宮神社だけの話であったら誤記か、そうでなくても孤証ということになるのだが、実は熱海の来宮神社にも過去「小童」が祀られていた記録がある(現在境内社にはない)[資料3]。来宮の方で神社の方に尋ねたのだが、さっぱり要領を得なかったのが残念だが(正式なご神職ではなかったかもしれない。その記録の存在も知らぬ様だった)。


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[1]:伊豆神社ノオト(一覧)

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龍学 -dragonology- 2011

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