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真鶴の道祖神

真鶴は周辺地域と比べても格段に「純漁師文化」の土地である。川もなく、平地もないので農業をする土地ではないのだ。近世以降、良質の石材が採れることから石工達の集まる所ともなったが、ここからそもそも伊豆型道祖神はこの真鶴で生まれたのではないか、という話にもなってくる。

城の本の道祖神
城の本の道祖神

真鶴町は道祖神さんの紹介に力を入れており、JR東海道本線・真鶴駅の駅地図にも「東の道祖神」「西の道祖神」……と、道祖神が書き込まれている。中々そんな所はないだろう。写真に見るようにほとんどお地蔵さんのような格好で祀られているのだが、それでも「サイノカミ」なのだ(真鶴では「寒の神」とも書く)。

東の道祖神
東の道祖神

江戸時代になり、江戸城と江戸の街を造って行くために各地から石工たちが江戸の地に集まったのだが、その開発が一段落して皆失職の危機に陥った、という状況があった。そこで石工たちはそれまで木や藁で作られていた村の辻々の小さな神々を石で作ることを工夫し、広めたという。東伊豆から小田原根府川にかけての海岸は石材の採掘場所として知られ、石工たちも集まっていたそうな。その真鶴の石工集団が伊豆型道祖神を工夫したのだ、と見る向きもある。

実際真鶴の海がこの像の発祥かというと実見からはなんとも言えないのだが、もしそうであったら面白くはある。最初に述べたように、真鶴は漁師文化の土地だ。その土地で伊豆型道祖神が生まれたと言うなら、この像は漁師のために造られた像であることがほぼ確定する。

東の道祖神
東の道祖神

もっとも真鶴発祥説は作成年代が特定できるものを並べて行くと、ということなのだが、これまでにも見たように当地の道祖神さんの扱いは非常に荒く、そもそも銘が読めるものなどごく僅かである。と、言うよりも「破損前提」なので、そもそも銘が彫られないと言う。破損・新造のサイクルも激しかったと思われ、年代から考えるのは難しいと思うが。


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龍学 -dragonology- 2011

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