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伊豆の道祖神(四)

伊豆神社ノオト:2011.10.06

小田原の伊豆型道祖神

前回までで伊豆の道祖神さんの基本的な特色は大まかに述べた。今回と次回は、伊東市以外、その周辺地区にも分布する道祖神さんの実例にあたりながら、土地ごとの有り様の幅のようなものを見ていこう。当然のことながら、このような信仰はどこかに中心があって「お手本」が示されるようなものではないので、一つ隣りの村でもうまるで違う話になっていたりするものだ。それが本当なのである。そこを忘れていたずらに「伊豆の道祖神とは」を括っても意味はない。

根府川・寺山神社の道祖神
根府川・寺山神社の道祖神

分布の北限・東限、ということならば伊豆を越えて西相模、小田原市の南西地区まで伊豆型道祖神は分布している。私は未見だが、石橋に伊豆型道祖神一体があるそうで、最も東、ということならばそこになるだろう。さらに北東側の早川地区では道祖神さんは祠型を基調とし、伊豆型は見えない。

私の実見としてはそのあたりは根府川・寺山神社に伊豆型道祖神を見ている(上写真)。また、その南北になる江之浦・米神にも伊豆型道祖神が現存しているようだ(未見)。根府川の寺山神社は武甕槌命を祀る実質鹿島神社で、西相模・東伊豆の漁師に共有される「鹿島踊り」の神事を持っている(実は伊豆型道祖神と鹿島踊りの分布域はほぼ一致する)。すなわち「漁師の社」であり、ここが重要だ。分布の端というのは存在が希薄になる分「誰が運び手か」が如実に現れる。

風祭の道祖神
風祭の道祖神

早川地区に見ないと書いたが、そこから早川を遡って箱根へと向う途中の風祭地区には伊豆型道祖神がある。ここへはやはり早川を経由して持ち込まれたのだろうから、かつての分布の東限が早川であった可能性はあるかもしれない。早川には伊豆の海と共通するキノミヤ信仰の社(紀伊神社)が鎮座している。

風祭はもうすっかり山中という土地のイメージだが、実は早川の海からそう遠くない。今の所はかつて早川にも伊豆型道祖神を祀る風があり、そこから箱根方面へも分布が広がったのだと考えている。

入生田の道祖神
入生田の道祖神

そして、そういう意味で言えば小田原と箱根の境である入生田(いりうだ)にある上写真の石造物が、「伊豆から最も長い距離伝播した伊豆型道祖神」かもしれない。もっともこの像が何かで語られている所を見たことがない。ほとんど存在が知られていないかもしれない像だ。劣化も激しいので「伊豆型」としたのはひとえに私の独自判断である。

だから、「もしこの像が伊豆型であったならば」ではあるが、早川沿いの伝播経路を仮定した場合、ここ入生田の像が「端」と言えなくもない。東限と言うなら米神の方が東になるが、単純に一番東だというよりこちらの方が注意が必要だろう。

基本的には小田原で伊豆型道祖神を当たり前に祀ったのは江之浦・根府川・米神・石橋の各「浦」であり、上記箱根方面に少数分布が広がるものの、それ以外の地域にはもうない。小田原の中心から内陸はここが発祥の地かとされるほどの直立型双体道祖神一色の地であり、早川から北東の海沿いでは祠で道祖神を祀る(山王など)。


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龍学 -dragonology- 2011

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