沼がらの伝説

山形県西村山郡西川町

沼がらは、昔大沼があった所が水が抜けて「から」になったのでそういうという。その沼にまだ水があった頃、鎌倉から逃れて来た五郎左衛門正則という武士が畔に住んでおり、たか子という美しく優しい娘がいた。

ある暑い夏のこと。鎌倉から羽黒山へ修業に向う一人の虚無僧が、五郎左衛門宅によった。暑さのために一杯の水を所望すると、五郎左衛門は快く茶椀に水を汲み馳走した。礼をいい虚無僧が去ったあと、たか子は僧の気品に心うたれ、思わずその飲みさしの水を飲んでしまった。

これにより不思議なことにたか子は懐妊し、月満ちて男の子を産んだ。修業を終えた虚無僧は、帰途も立寄り、この不思議な一件を聞かされた。虚無僧は話を聞いてつくづくと男の子を見ていたが、やにわに冷水を口に含むと、男の子の顔に吹き付けた。すると、子は忽ち水となって消えてしまった。

たか子は狂わんばかりに驚き、大沼に身を投げてしまった。そして、沼のヌシの蛇体となった。天地鳴動して大荒れとなったが、虚無僧が娘に龍沼寺水子禅女の法名を与え、供養した。そのまま僧はとどまり、たか子の霊を慰めたという、龍沼寺の縁起である。

また、沼がある年の大雨で決壊した際、ヌシの大蛇は沼を抜け出して入間の砥の粉沢を越えて逃れ、沼山大沼の女のヌシになったともいう。(「ふるさとの史実」菅野正著)

『西川町史 下巻 近代・現代・民俗』より要約


埼玉県戸田市には弘法大師を見ただけで娘が懐妊して生れた子を大師が水にもどすという伝説がある。

水子村の由来
埼玉県戸田市新曽:弘法大師を見ただけで娘が孕んでしまった。生れた子を大師が水に入れると形がなくなった。

そちら弘法大師の方は竜蛇は出てこないのだが、こちら沼がらの伝説では、母が入水し蛇体となっている。どうも話の流れのどこかに竜蛇譚に接続するハンドルがあるらしい。しかし、弘法大師や虚無僧の性質故の不思議となると竜蛇譚には結びつけ難いように思う。

あるいはそのような存在を切っ掛けに、母となる娘が半ば蛇となって、見るだけ、飲みさしを飲むだけで懐妊する不思議を発揮した、という話なのかもしれない。そうなると子どもは「みづち」として生れていたということで、整合性はとれる。