あまのじゃくと二子山

神奈川県足柄下郡箱根町


気が遠くなるほどの大昔。箱根山に天から来た神とも人間ともつかない、へそ曲がりで力持ちのあまのじゃくがいた。あまのじゃくは箱根の山容を気に入っていたが、西に聳える富士山の美しさに嫉妬した。里の者が箱根に尻を向けて富士山に見惚れるのが癪に障ったのだ。

そこであまのじゃくは、富士山のてっぺんを削って低くしてやることにし、夜になるともっこを天秤棒で担いで富士山の岩を運び出した。その時富士山から海へとぶん投げた岩でできたのが伊豆七島で、投げそこなったのが熱海の初島なのだ。

ところがある晩、欲張ったあまのじゃくは運ぶのに手こずるほどの大岩を担いで箱根山を越そうとして難渋し、一番鶏の声を迎えてしまった。日が昇ると力が出せなくなるあまのじゃくはその二つの大岩をおんまけると、山の暗がりに吹っ飛んで行った。こうして突然箱根にできたのが二子山なのだ。

あまのじゃくはこれに懲りて、富士山を削るのをやめたという。それからは富士山に行くこともなかったのだそうな。

『神奈川県の民話と伝説(上)』萩坂昇
(有峰書店)より要約

追記

箱根の二子山の話だが、この話が箱根の地そのもので語られてきたかどうかは微妙なところがある。どちらかといえば、県央南部・茅ヶ崎藤沢あたりで語られていた話のような気もする。ただし、そちらでは「富士山を造ったのがデエラボッチで、ある時運んできた土をおんまけちゃってできたのが箱根の二子山」となりはする。

関東各所では、ダイダラボッチの造山を邪魔するのがアマノジャクという感覚もよくあるので、構成そのものの変化にも興味深い点がある。

ともあれ、箱根の巨人は富士山に嫉妬したのが、その箱根の外輪山の北端になる矢倉岳(地質的には箱根山地ではない)にも富士山に嫉妬する、今度は大蛇の話があるのだった(「矢倉岳の主(前)」)。

矢倉岳の大蛇は富士山を削るのではなく自分の山を高くしようと奮戦するのだけれど(足柄平野から見ると矢倉岳に富士山が隠れてしまうポイントがあることがこのモチーフを生んでいる)、里人が自分の山を見てくれないという語り口などまで二子山の話とよく似ている。同系異話といってよいだろう。

歴史的な要所としても、矢倉岳は古代の東海道の足柄峠がそのふもとを通る目印となる山であり(下っては「矢倉沢往還」といった)、二子山は新旧の箱根東海道がその南ふもとと北ふもとを通る、箱根越えの目印だった(「登り坂」としては二子山のわきを越えれば箱根越えとなる)、という類似がある。