東村の弁財天

神奈川県綾瀬市


製糸工場に蛇が入り込み、白くミイラ化した。これを真綿でくるみ祀ったのが初めである。初めは小さな祠であったが、崇拝者が多くなったので、お堂を建てた。お堂を管理する人がいたが、他界し、講中で相談の結果、海老名市の金毘羅様に預けることになった。しかし昭和の初めに伝染病が流行し、霊媒師に見てもらったところ、弁天様が元の地に帰りたがっていることがわかり、現在地へ戻したものであるということである。

祭りは四月の初巳に、ヤドを決めて行う。祭りには女ばかりが集まるという。

なお海老名から戻したときには、芝居を呼んだという。

『深谷の民俗』(綾瀬市)より

追記

蓼川の蓼川神社から東名高速道路の上を渡り、北の台小学校に向かう道の入り口に、今もこの小社は祀られている。かつて製糸工場があったということで、養蚕守護の弁天の一端といえるだろう(実際の蛇を祀ったというのは珍しかろうが)。

ところで、この小社は今「亀甲山白糸七面大天女」と額を掲げて祀られている。上には弁天と祀られたとあるが、実地は七面様なのだ。これは興味深い点である。

どちらも正しいとしたら、いつかの時点で弁天さんが七面天女に変わったことになる。甲州郡内のほうには弁天さんが七面様になりたがっているのでそうした、などという話がある(都留文科大学民俗学研究会「平栗・加畑の民俗」)。こちらにも、そういうことがあったのではないか。