水飲み竜

原文:神奈川県海老名市


海老名駅から相鉄バスの農大行に乗ると、約十分ほどの所に大谷宿というバス停があるが、ここで下車してバスの進行方向に二〇〇メートルほど進むと、通称下大谷の観音様が左手の奥に見える。

今は堂守もいず、毎月十九日の縁日の日だけ世話人が交代で詰めて、お腹帯とお札を出しているが、古くから安産と子育ての祈願所として知られ、地元はもちろん、甲州、武州などの遠方からの参詣者も多かった。

摩尼山といい代々尼僧が住職で、本尊は如意輪観世音である。

この摩尼山に七不思議があって、語り継がれていたが、今は知る人も少ないので紹介しよう。

観音堂の正面虹梁(柱と柱の間に渡すはりの一種)のうえに彫刻してある竜が毎晩下の池に水を飲みに降りたという「水飲み竜」もその一つである。

ある晩、仏にあげる水を汲みに池へ下りた尼僧は、音を立てて水を吸い込んでいる竜を見て立ちすくんだ。

竜は人に姿を見られたと知ると、雷のような音と昼をあざむく光を発してもとの虹梁へもどった。

その後もたびたびこうしたことがあり、騒ぎが大きくなったので、彫刻師にこのことを話すと、「私が精魂込めて彫った竜だから、あるいはそういうこともあるかも知れない。しかし人を驚かせては申し訳ないので、こんごは虹梁から降りないようにします」といってその眼に釘を打った。

それからは水を飲みに降りなくなったが、彫刻師の言うとおりに、毎晩手桶へ水を汲んでその下へ置くと翌朝はなくなっていたという。

子供のころ堂守をしていたお婆さんがいて、やはり毎晩竜に水をあげていたというが、このお婆さんは関東大震災の前の年、九二歳で亡くなった。

竜に水をあげる人がいなくなってからは、池はだんだん埋まって今はわずかに形を残すのみとなった。(小島直司)

『海老名むかしばなし 第1集』
(海老名市秘書広報課)より

追記