雨の主・蛇

原文:神奈川県秦野市


八沢村(現在の上地区八沢)の中ほどを右に曲がり、左に折れながら流れている川があります。この川の水は清く澄んでいるのですが、どうしたわけか、いつも濁っているように見えるのです。そんなわけで、村人たちに「にごり川(にごり沢)」と、名付けられていました。

ところで、このにごり川には、「大天狗滝・子天狗滝・笹滝」と呼ばれる、三つの滝があります。中でも大天狗滝が一番大きく、とうとうと水を落とし、岩をかんだ水は白く飛び散り、その音はあたりの山々に響き渡っています。

この大天狗滝には、滝の主といわれる一匹の大蛇がすんでいましたと。

どうしたことか、幾日も幾日も日照りが続きましたそうな。こんなある日、村の元気のよい若者が、大天狗滝の近くに草刈りに出かけました。だんだんと滝の方に近づいていきますと、気持ちよさそうな「いびき」が「ぐう、ぐう……」と、聞こえてくるのです。

「おや、変だぞ。こんな山の中で人がいるなんて」と、自分の耳を疑いました。「しかし、たしかにいびきだあー。一体誰だんべえ、この日照り続きにのんびりしたやつ」

そう思うと誰だか知りたくなり、そっとそっと、いびきのする方に近寄っていったんだそうな。いびきは、だんだんと大きくなってきます。そうっと、草むらの中をのぞき込んでみました。

「うわぁ!人じゃあねえ……おどれえた(驚いた)」。後の声が続きません。それもそのはず、いままでに見たこともない、大きな大きなへびが気持ちよさそうに昼寝をしているのです。

元気のよい若者は「ようし、つかめえてやん」と、言うが早いか、持っていた縄で眠っている大蛇をギリギリと縛り上げてしまったんだと。

大蛇が目を覚ましたときは後の祭、動くこともできず、いや、観念してしまったのでしょうか、動こうともしませんでした。

「さて、どうして引きずっていこうか?」と、縄に手をかけた、その時です。大蛇は苦しげな声をあげ、
「おれはつかめえられてゆくぞ。あとのことは(雨ふらせを)頼むぞ、子天狗滝」と、空に向って叫びました。その声は本当に子天狗滝に雨ふらせを頼み込むような切実なものがありました。

その願いは若者の胸にも迫り、じっと大蛇の顔を見つめました……しばらくして、「おう、おめえにも友達があったのかあ、かわえそうに……かわえそうに」と言って、縄を解いてやりました。

この大天狗滝は、昭和の初めごろまで日照りが続いた時には、「雨乞」に使われていたということです。(話者・上地区八沢・牧島伊八)

「秦野の昔ばなし」岩田達治
(神奈川新聞連載)より

追記