領家

神奈川県横浜市泉区


岡津に城のあったころ、城主の愛妾が島田の塚で出産することになった。いよいよ出産というとき、暗くなったので困っていると、竜が出てきて、口から火を吹きだしたので、あたりがパッと明るくなった。そのためお産は無事にすみ、胞衣埋めて塚にした。お産や月の忌みを花というので、それからこの附近を竜花ということになった。だから昔は竜花と書いたが、いつのころからか領家と書くようになったのだと。城がほろびてからのち、家来の一部は藤沢に行って商人となった。今でも藤沢の八幡横丁のそばに領家町というのがあるのはそのためで、紋章も領家谷戸の旧家萩原家と同一のものを用いているという。(中川郷土史)

『戸塚郷土誌』戸塚区郷土誌編さん委員会
(戸塚区観光協会)より

追記

領家公園があるが、その北の竹ノ鼻公園から大きなマンションのあるあたりを玄蕃山といい、島田の塚があったのだという(おそらく今は塚はない)。別伝に、島田三郎なる鎌倉御家人が話の城主であり、愛妾の名は丹後局だという(同資料)。

島津忠久の母だという丹後局とは違うのだろうが、島田三郎は元寇の折に九州に派遣されたともいうので、何か関係を語りたかったものなのかもしれない。いずれにしても、島田三郎なる人物は史上に見えず、委細は不明となる。

話のほうも、なぜ竜がお産を助けたのかよく分らないものだ。結果、土地の名が竜花となったのだというのだから、そこが主眼ではあるはずだが。私はこれは蛇女房の話があったのじゃないかと思う。竜が助けたのは丹後局が竜女であったからだ、とすると話は通る。

竜蛇が産育に深くかかわっていただろうことは想像に難くないのだが、今にその痕跡を見るのは難しい。しかし、東北のほうには坂上田村麻呂伝説の一端などにその事例が見える(「子安観音」)。ここ領家にも同様の話があったのじゃないか、島田の塚は安産信仰の場であったのではないか、と気にしておきたい。