平兵衛池

群馬県吾妻郡中之条町


六合村の入山の奥に平兵衛池という大きな池がある。

草津の湯本平兵衛といえば知らぬ者のない名家だが、昔、その平兵衛の娘が、召使たちを連れて白根へ蕨採りに出かけた。一行は蕨採りに夢中になり、山奥の大沼の畔にまで分け入ってしまった。

すると、平兵衛の娘は、すっかり汗をかいてしまったので髪を洗ってくるから待っているように召使たちにいい、そして、水際で履物を脱ぐと、ずんずん沼の中心へと入って行ってしまった。お供の女たちがあわてて駆け寄ろうとしたが間に合わず、娘は水中に消えてしまった。

召使たちが慌てふためき泣いていると、沼の水が逆立ち、一匹の竜が現れた。そして、恐れることはない、自分はこうなる運命だったのだ、家にはもう帰れないから父母にこのことを伝えてくれ、といった。娘は沼の竜になってしまったのだった。

言い終えた竜は背を向けて泳いで行き、沼の中に姿を消した。これから後、この沼が「平兵衛池」と呼ばれるようになったのだ。

『群馬伝説集成・吾妻の伝説』脇屋真一
(あかぎ出版)より要約

追記

この伝説は、『日本伝説大系4』の榛名湖伝説の類話に、よりシンプルな口承のものが収録されている。そちらでは単に平兵衛の二人の娘が池に行ったのだった(竜ではなく蛇になった、とある)。

『日本伝説大系』が同稿にまとめているように、この伝説は榛名湖伝説と前後に影響し合っているのだと思われる(娘の名は「はるえ」だったともいう)。上の筋で召使たちを連れているのは、木部姫が(蟹となる)侍女たちを連れていたことを引いて話が大きくなったものだろう。

そのあたりのことはまた榛名湖のほうから追うとして、この六合村の伝説自体の目を引くところを指摘しておこう。そもそもの池の名のことだ。竜(蛇)体となった娘の伝説であるのに、父の「平兵衛」の名が池沼についたというのはよく考えると不思議ではある。

実は、「平兵衛」という名から蛇(へーび)が連想された可能性という問題があるのだ。これは実例がある。相模は小田原市久野の山中に「坊所のヘービ坂」という坂があるのだが、特に大蛇の伝説もないこの坂が、どうも平兵衛坂だったらしい、というのだ。

これと同様なことが平兵衛池でもあったのじゃないか。それを思わせる話はままあるのだ。房州八千代の「ヘエベエ弁天の由来」なども気にしておきたい。