平安時代、一条天皇の頃、国司藤原某が〝桜の前〟という美しい姫を従えて国内を巡察していた。昼下がりとなり、ちょうどこの池の前に馬をつないで〝池宮天王社〟に参拝し、休息の酒宴となった。
桜の前に舞を舞わせていると、突然池の怪物が現われ、桜の前を引きずり込んだ。怒った国司は領内の住民を集め、数万の石を真っ赤に焼いては池中に放り込ませた。これが三日三晩続きさすがの怪物も逃げだした。
待ち構えていた役人たちが一斉に矢を放ったが、怪物は恐ろしい勢いで南方に走り、国司の馬を一撃で殺し、さらに逃げ惑ってついには行方をくらましてしまった。
桜ヶ池に住んでいた怪物は、牛が化けたものだといわれ、それは池宮神社が「池宮天王」とよばれていたこととも関連する。すなわち天王信仰とは、牛頭天王を祭神とし、その本体を素戔鳴尊とする。
皇円阿闍梨が生きながら龍と化し池に住まうようになった、というのが遠州七不思議の一、桜ヶ池の知られた伝説だが、実はここには「牛が化けたもの」だというヌシの怪物のかくのごとき伝説もある。
どちらが先か後かというのはわからないが、静岡県下に多く見る竜蛇のヌシと水辺の牛のヌシの重なる話の代表格であるといえる。つまり、その発信源の可能性があるということだ。
桜ヶ池の伝説そのものの全体像はまたの機会に追おう。ここでは、その竜蛇と牛の重なり、という各所の話から引くためにあげた。駿河に行っては藤枝市の青池の話(「青池雩」)にその重なりが見える。
また、静岡市に行って水見色高山の池に語られた伝説も、どうも牛と竜蛇のどちらにでも傾く話であったようだ(「高山の池」)。そのあたりの話と比べて見られたい。