昔、谷戸八右衛門の娘が供をつれて山へ行った。遊んでいるうちに一人迷うと、紫の雲がたなびいて白髪の老翁が現れ、娘に一緒に来るよういった。娘の姿が見えなくなった村方衆は大騒ぎをして探したが、その行方は分からなかったという。
一方、老翁の疲れを治した娘は、翁に大層喜ばれ、お礼に何でもあげるから望みをいうようにいわれた。娘が村には水が乏しいから水がほしいというと、翁は「水の玉」をくれ、これを望みのところへ投げれば、そこから水が湧くと言い残し姿を消した。
娘は玉を抱いて我が家へと帰ったが、村の様子はすっかり変わって知る人は一人もいなくなっており、気がつくと自分も白髪の老婆となってしまっていた。娘は村人に一切を語ると水の玉を投げた。そこからは水がこんこんと湧き出し、八右衛門出口と呼ばれるようになった。
大泉町谷戸にある湧水・八右衛門出口のまたの伝。よりよく知られた(今の湧水脇にも掲げられている)話としては、父の八右衛門が蛇を助けて湧水を得るというものがある(「八右衛門出口」)。
なぜその父の伝説があるのに、このような娘の話が語られるのか(この話なら八右衛門自身は湧水と関係ないことになる)。非常に興味深い事例であるといえる。注目されるのは、娘が村の実時間から外されてしまう、というところだろう。
父の伝説のほうは、その八右衛門に水の所有権・采配権があることを強く語るものなのだが、そこを削り取るために、この娘の話ができたのじゃないか、とも思える。もし、谷戸八右衛門家から湧水の水利権が共有化された歴史などがあれば、その可能性は高くなるだろう。
ただし、同資料には、この娘が主役の伝説は「女取川出口にもこれと殆んど同様の話がある」の一文が付されてもいる。周辺似た話がすこぶる多いので、混同しただけ、ということもあるかもしれない。