八右衛門出口

原文

大泉村谷戸に、昔谷戸八右衛門という人があった。或る日、八右衛門は八ヶ岳の高原へ狩猟に出かけた。獲物をたづねてだんだん山奥深く入込んで仕舞った。ふと見ると彼の帰路の方に向って、大山火事が燃えあがった。折柄の烈風にあおられて、みるみる火事は広がり彼の身辺も危険に迫った。必死になって逃げ廻った彼はやっと火勢の弱い処を見つけて焼跡の方へ逃げ出した。そこには燃え残りのかれ芝が煙っていた。ふと見ると根元を火に焼かれた大木の頂上に一匹の小蛇が巻きついて火にふるえていた。可愛想に思った猟師八右衛門は手に持った弓をさしのべて「お前も山火事に追われたのか、気の毒のおれも今やっと此処まで逃げて来たばかりだ。まだ地上には余燼があってお前にはとても下りられない。おれが援けてやるから、この弓にからまれ」と人に語るように言い、弓を出すと、小蛇は八右衛門の語を解したものの如くするするとその弓に巻きついて八右衛門は蛇の巻きついた弓をかついで、やっと火の気の少ない処まで逃げて来た。そうして「さあよいからお前も自分の家へかえれ」と蛇を地へ下ろした。蛇はお礼をするようにして何処ともなく姿をかくした。

数日後に八右衛門が昼寝をしていると、彼の枕もとに一匹の大蛇が現われて「先日は命を助けて頂いて誠に有り難うついてはそのお礼に此の揚子を上げます。これをあなたが要求する場所へ挿すとそこから水が湧きます」といった。それは八右衛門が見た昼夢であった。あまりのことに驚いた彼は起き上ってみると、彼の手にあるものは正しくさっき蛇からもらった一本の揚子である。

試みに彼はその揚子を裏山へ挿して見た。するとたちまちそこから清冽の泉がこんこんと湧き出した。

それから数年後の事である。此の出口の下流の人々は、その流域に水田を作った。八右衛門は此の泉の由来を語り無断でこの水を使用することの不可を詰問した。下流の人々は八右衛門の言を信ぜず取り合わなかった。八右衛門は立腹の余り遂に泉の出口に挿してあった揚子を抜き取ってしまった。するとたちまち出水は止み川の流れは枯れて仕舞った。困ったのは下流の人々である。散々に八右衛門に陳謝して改めて流水使用の許可を得、年々水の使用料を支払うことにした。そこで八右衛門は納得して揚子を挿すと前と変らず泉は湧き出した。

この泉を八右衛門出口といい現今でも下流の人々は水年貢を納めている。

現在八右衛門出口に繁茂している木は、その時彼が挿した揚子であると。(藤森)

 

又言う。昔、谷戸村谷戸八右衛門の娘は供をつれて山へ行った。遊びにまぎれて独り道に迷い困っていると、紫の雲が棚引いて白髪の老人が現われた。

翁は「姫よわしと一所に参れ」と、導かれるままに姫の姿も紫の雲の中に消えた。

村方一同は大さわぎをいて探したがわからない。娘に労れを治してもらった老人は、喜んで「まことに御苦労であった、さあ家へ帰るがよい。お礼に何んでもあげるから望みを言え」と、娘は「私の村には水が乏しいから水をくださいといった。翁は美しい水の玉を娘に渡し「これを望みの処へ投げるとそこから水が出るぞ」といって姿を消した。

娘は玉を抱いて我が家へかえったが、村のようすはすっかり変って、知人は一人もなくなっていた。悲しくなった娘は人々にたづねてもさっぱり、わからない気がついて見ると自分は白髪の老婆となっていた。

娘は村人たちに一切を物語った。そうして翁からもらった玉を昔の持山の窪地へ投げた。みる間にそこから玉のような水が滾々と湧きだした。村人は八右衛門出口といって今に伝えている。(平井清寿)

(此の話の後半、平井氏の話は女取川出口にもこれと殆んど同様の話がある)

北巨摩郡教育会『郷土研究 第二輯 第一冊 口碑伝説集』
(昭和10)より