虫亀に地滑りがあって、今はもう家が建ってるが、あそこは池の平って言ってるがぁて。地滑りがあって、そこが沼みたいになって、水が溜って。そこへ主がいたがぁども、日照りになって、その水が乾いたんだが、その主が牛の姿になって、今度、塩谷の池へ行ったなんて話はきいてるども。〈虫亀・長島藤八(M34・12・10生)〉
池のヌシが牛に変化して去った話。牛の姿になって、とあるのだからもとは牛ではない。竜蛇だとはいっていないが、塩谷のほうでは、センリュウ様という名の、これも牛になるヌシが語られる(「塩谷の池の主」)。
また、虫亀からは直線一里ほど東北方になる「尼谷池の池の主」は、大蛇が牛に変化したとはっきりと語られている。併せ見るに、この虫亀のヌシも大蛇というところだろう。
このように、牛と大蛇の連絡がよく語られる旧山古志村なのだが、ここ虫亀には(関係のあるかないかはまだ分からないが)、興味深い一面もある。山古志は闘牛(角突き)の盛んな土地であったというが、虫亀では諏訪神社に闘牛場があり、神事として奉納されていたというのだ。
これが蛇の神に牛の角突きを奉納していた、という意識があったものならば、牛と大蛇の連絡をよく語る一因に関係しているかもしれない。周辺牛の話のあるところにそういった傾向があるかどうかはまだ不明だが、気をつけるべきだろう。