龍角寺の龍伝説

千葉県印旛郡栄町

龍角寺は、元明天皇の御代、龍女が一晩で建てたといい龍閣寺といった。その後、天平・聖武天皇の御代、日照りが続いて作物が実らず、人々は困窮し、聖武天皇が雨乞いの祈願をさせた。しかし効果がなく、龍神にゆかりの土地を探させたところ、下総国埴生郡の龍女の寺・龍閣寺のことが知れ、勅命が下った。

龍閣寺の釈命上人が勅により昼夜を問わず祈願を続け結願の時、身長が八尺もある老人が現れ、自分は印旛沼の主であるといい、読経のおかげで自分の罪が消滅した、大龍の許しなく雨を降らせればこの身は奪われるだろうが、救われた自分は命を惜しみません、といい裂かれた体の供養を頼み、消えた。

果たして天はにわかにかき曇り、大雨が降りだした。作物は息を吹き返し、人々は歓喜の声を上げた。七日七晩の雨の後、人々が印旛沼を訪れると、龍の身体が三つに割かれて落ちていた。人々は哀悼の涙を流し、頭を龍角寺、腹を龍腹寺、尾を龍尾寺に納めた。これより龍閣寺は龍角寺と称すようになった。

栄町観光協会webサイト「ドラムの里」
「ドラムの里周辺のみどころ」より要約

なお、龍角寺の話だが、寺から西へ少し行ったところに鎮座する素羽鷹神社にあった松に、落ちてきた龍の頭がかかった、という話もある。龍燈の松の伝であったようだが、現状何を意味するのかなどは全く分からない。