天平二年、この地方にひどい日照りが続き、悪疫が流行し、人々が大変苦しんでいた。そこで天皇の命を受けた釈明上人が、印旛沼の龍神に雨乞いをしたところ、大雨が降りその七日目のこと、血の雨を降らせて龍の体が三つに裂かれ、地に落ちた。
龍の頭は埴生の龍角寺、尾は大寺の龍尾寺に落ち、胴の一部がこの木積龍頭寺に落ちたという。龍の骨を庭の池の中の島に埋め、龍神を祀った。また、寺宝の玉もその時に落ちてきたものだという。(そうさの伝説とむかし話)
匝瑳市にあるまたひとつの印旛沼の龍の話。同匝瑳の龍尾寺の話などは「大寺の龍尾寺」に見られたい。一般に、龍角寺・龍腹寺・龍尾寺の三寺が、三分された龍の各部の落ちた場所と紹介され、この木積龍頭寺というのは知られぬところだが、このような伝説があるという。
頭とはいうものの、胴の一部ということで、龍腹寺を置換している。こちら木積の話は、それが知られぬ「第四の寺」であることにまず注目されるが、またその表現に「血の雨を降らせて龍の体が三つに裂かれ」とあるのが気になる。これが、そもそも降った雨が龍の血だった、という事はないだろうか。
もしその可能性があるとすると、これは死体化生神話のひとつだった、という線が出てくる。龍王に罰せられ、という理由でもそう考えることはできるが、龍の血の雨という話なら、より色濃い理由が語られていたことになるだろう。巨人伝説にはそういった展開をするものが見え、この可能性はおさえておきたい。