明治の末、用草に七兵衛という人がいた。その頃はどの家も鶏を飼っていたが、蛇は鶏の卵が好物で、生んだそばから呑んでしまうのだった。たまりかねた農家の人は、卵に小さな穴をあけて中味を吸い出し、その中に針を数本入れて巣に返し、これを蛇に呑ませて退治していた。
七兵衛もこれを試してみたところ、思惑通り蛇は針入りの卵を呑んで、逃げて行った。これを追っていくと、山の中の草むらに入り、とある雑草を噛み始めるのだった。そしてしばらくして、蛇は噛んだ草と一緒に、針を次々と吐き出すのだった。
これを見た七兵衛は、蛇の噛んだ雑草を採り、これに薬草の二、三を加え練り薬を作り、刺のささった傷に試してみた。その効き目は驚くほどで、「これだ」と思った七兵衛は、薬に「家伝棘抜き吸い出しの秘薬・かっぱ」と名付け売り出した。これが評判となり、よその村々からまで買い求めに大勢の人が押し掛けたという。
蛇から秘薬の知恵を得る話。これが棘抜きの薬であるという筋では、東京の立川にも同じような話がある(「とげぬきの薬」)。そちらでもこの古い根を持つ話は、一方で本邦では河童の妙薬の話になっている、といったが、八街(やちまた)ではその名も「かっぱ」という薬の名となっている。
しかし、この話の筋でなぜ「かっぱ」の名となるのかはよく分からない。また、蛇と針の話として、本当に話にあるような蛇の撃退が行われていたのだとしたら、これはちょっと検討しておくべきかもしれない。
蛇をよけるため針のような寸鉄でも身に帯びておくべき、というのは『著聞集』に遡るので、農家の知恵が先にあるとも思われないが、広くそういうものだと受け入れられた背景の一つではあるかもしれない。