柴崎村上の原に、佐衛門という人がいた。一日の野良仕事が終わると、多摩川で魚をとってはおかずや酒の肴とするのを楽しみにしていた。魚が沢山とれたときは、串刺しにして焼き、〝もり〟(藁筒・べんけいともいう)に刺して囲炉裏の上に下げ、干物にしていた。
ある夏、佐衛門が家に帰ると、大きな蛇が梁を伝ってもりに下りてきていた。頭はお椀ほどもあり、背は黒く腹は白く、尾が二つに切れているという見たこともないその大蛇は、もりに刺してある魚を串ごと呑み込んでしまった。ところが、その串がつかえたのか、大蛇の喉が大きく膨れてしまった。
大蛇は囲炉裏のかたわらに落ちると、のたうちながら這い出していった。そして、どうするかと佐衛門がついていくと、庭の隅の稲荷前にあった吉祥寺の木(コマゴメの木ともいう)に這い上り、木の皮を舐めはじめた。すると、しばらくして大蛇の喉の膨らみは消え、何事もなかったように去った。
このことから吉祥寺の木に串をとかす力があることを知った佐衛門は、木の皮を焼いて粉にし、とげぬきの妙薬として売り出した。これには卓効があり、大いに評判となったという。
東京都立川市の今の錦町あたりのことだという。実際にそういう薬が売り出されていたのかは知らない。が、これは二つの根の深い話系が織り交ざった面白いものだといえるだろう。
ひとつはのどに骨などが刺さった動物を助け恩返しを得る話で、このあたりだと狼であることがもっぱらだが、東南アジアでは虎であったりもする。そしてどうしたわけか、それは竜宮から来る竜蛇や亀を助ける話ともなる。
また一方は、蛇が知っている不思議な薬草の知識を得て妙薬をつくる話で、本邦では河童の妙薬の話になり、また落語の「蛇含草・そば清」のなんでも消化してしまう薬草の話になる。この二つの系統をうまいことつなげた家伝の妙薬の由来譚であるといえるだろう。
内容的には「蛇除け・蛇の毒消し」を売り物にする家の話に近くもあるので、それらが色濃い甲州街道のほうの事例と並べてみるものでもありそうだ(「喜多見の槍かつぎ」など)。尾が二股という「蛇又」の事例でもある。