榛名へ向かう寅御前

埼玉県鴻巣市

原馬室には、古くから雹除けを祈願した供養の行事があったが、次のような伝説に基づいている。

昔、西光寺に一宿をこうた主従と思われる女の二人連れがあった。住職の幻覚法印は歓待し、夜の更けるのも忘れて語り明かした。そして明らかになったことは、女は渋川左衛門尉の夫人で寅御前であり、連れはその侍女であるとのことだった。

夫人は夫が陣中戦死したのを嘆き、上州榛名に参詣すべく夜明けに蕨を発ってその道すがらなのだという。夫人は上州緑野郡木辺村領主の息女であった。それより数日、大雨によって二人は足止めされたが、幻覚法印は続いてもてなしたので、出立の折、夫人は懇ろに法印に礼をのべ榛名へ向かったという。

その数日後、法印の枕辺に白衣の夫人が立ち、自分は榛名の湖水に身を投げ竜神と化した、と告げた。同道の腰元も入水し蟹となり、榛名湖にすむことにしたので、過日の恩に報いるべく、貴僧の地の雹害をなくしましょう、という。法印は驚き起きて、すぐさま榛名へ向かった。そして、実際に夢の話のような入水があったことを知った。

法印は不思議と思い、両女の回向を懇ろにし、帰ると位牌を道場に供え、その日が丑の日であったので、毎月丑の日に供養をすることにしたのだという。(藤井襄「雹除丑の真言の伝説」『埼玉史談』第四巻第一号)

韮塚一三郎『埼玉県伝説集成・中巻』
(北辰図書出版)より要約

このあたりはみな「渋川公夫人の伝説」なので、題を独自につけた。西光寺は既に廃されたという。が、かつてその蕨のほうから高崎・榛名湖へ向け、上尾の平塚や、この鴻巣の原馬室と渋川公夫人の伝説をよく語る土地があり、命日供養や雹害よけの祈願が盛んに行われていたという。

ところで、この鴻巣の話によると、渋川公夫人は寅御前と呼ばれていた、とある。はたして渋川義基の夫人が実際そう呼ばれていたのかどうか現状知らないが、この点は重要となるかもしれない。