渋川公夫人の榛名湖入水伝説

埼玉県蕨市

昔から蕨及び塚越の土地には決して降雪降雹の害がないといわれている。これについては、渋川公夫人の榛名湖入水伝説がある。

伝えるところによると、永禄十年(一五六七)八月二十三日蕨城主渋川公は鴻台の戦に敗れてあえない最後をとげた。この悲報に接した公の夫人は、里方上州の木部家(一説に深谷在の木部家)にのがれようとしたが、遂にその身を榛名湖に投ずるにあたり、蕨の地には雪雹の害がないようにと誓って竜体となって婢と共に水中深く沈んだ。蕨に雪雹の害がないのはそのためだという。また榛名湖の湖がいつもきれいなのは、婢がカニと化して、湖を掃除しているためだと語りつたえられている。(飯田節『渋川公五十年祭』)

この入水伝説は、諸書に記されている。
(1)『足立板東起本開山記』安永五年版、塚越居住高橋家所蔵
(2)『蕨城主渋川公戦死略歴』土橋、庄野家所蔵。元禄年間の古記録
(3)『竜体院墓碑銘』文化十三年再建

韮塚一三郎『埼玉県伝説集成・中巻』
(北辰図書出版)より

元稿の題は「蕨城主渋川公夫人の榛名湖入水伝説」。(1)~(3)の史料の内容は略す。

現状の結論だけいうと、これは南は相模のほうまで広まっていた榛名講のための必要だったのじゃないかと思う。関東における雹よけの代名詞である榛名講だが、南のほうの人が榛名に向かうルートと、伝説の点在するポイントが一致している。

これらの伝と上州高崎周辺の話を比べて顕著なのは、雹よけの効能そのものにある。高崎のほうでは話の中でその要素が語られることはあまりない。蕨の渋川公夫人が雹よけを約束するのだ。広く行われた榛名講と榛名湖の伝説を併せ考える際は、この武蔵の伝をよく見ておく必要がある。