雨乞屋台

埼玉県本庄市

千年も前のこと。平安の時代、阿久原に牧があり、京から来た別当がいた。任期を終えた別当は京に帰ったが、時代が変わり扱いがひどく居場所がないので、阿久原に戻り、ここを一族の拠点とすることにした。息子の若宮の家をつくり、そこを宮内として開墾に精を出した。

ところが、先住の大蛇(ながむし)の一族が反対し、邪魔をするので難儀した。そこで若宮と別当は、尊敬する田心姫の力を借りることにした。田心姫は天下り、協力を約束した。金鑽様も面会に来たというその美しさには大蛇族も歯が立たず、和睦を模索した。

そして、開発に協力するが、田心姫を大蛇族の司と結婚させてほしいと申し入れた。若宮たちは撥ねつけようとしたが、姫は笑顔で、術を比べて、天より持ち来た小さな手箱に入る術を司が示せば、結婚を承知しましょう、と言った。大蛇族は思わぬ朗報に夜通しのお祝いとなった。

あくる朝、姫への誠意と、美男子の司はただ一人指定の沼のほとりへ来、さっそく身を縮める術をもって、姫の手箱に入って見せた。しかしこれは計略で、姫は手箱に鍵をかけると、若宮に手箱を沼に放り入れさせてしまった。さらには、これは天の神の作戦であり、沼を埋め立てよ、と言う。

大蛇族は司が沼に沈んだのは神をおそれなかった結果仕方がないとしたが、せめて日照りのときは司の霊を呼び戻し雨を降らせるから、埋めるのは許してほしいと懇願した。そこで池を埋めるのをやめ、その周りを息をつかずに七まわり半できたら姿を現し司の霊を慰めよう、と田心姫は約束し、天へ帰ったという。

時代は過ぎ江戸のこと。大日照りが続いた。大蛇の話は皆したが、司の霊を呼び戻す方法が分からなかった。そこである年寄が、大八車に大蛇の姿を作って載せ、手箱池の周りを回ったらどうか、と思い付き、そのようにした。それで雨が降ったらお礼に若宮様へ雨乞屋台を奉納しよう、と。

そうして池を五回も回るともう雨が降り出し、大八車も操れぬほどになり、空だった手箱池も、たちまち道まで水浸しになった。村人たちはすぐに雨乞屋台を作り若宮に納めたという。今も御宝蔵にある雨乞屋台はこうした何百年もの物語を秘めて出番を待っている。

児玉郡・本庄市郷土民話編集委員会
『児玉郡・本庄市のむかしばなし 続』(坂本書店)より要約

今は本庄市児玉町宮内に鎮座される若宮神社の話と思う。その辰巳の方にはため池のような池がたくさんあり、手箱池がどれなのか、現存するのかなどは不明。本書が編集される直近にこの「雨乞屋台」の手入れが行われ、この話が採取されたというから、屋台はあるのだと思う(どのようなものだか知らないが)。

ともかく、中々に複雑な話といえるだろう。風土記の昔の神話に近い面、常陸夜刀神の話や周辺先住の者を従えた話のような古い話の要素があり、また弁天さんが土地の悪蛇を抱き鎮めたという江の島型の中世的な話でもある。そして題の屋台は江戸のことと、たしかに何百年の背景のある話だ。

この宮内の若宮さんは、伝の通りでは別当の息子ということだが、児玉では古社の金鑽神社と姉妹の神だともいうようだ。こういうあたりはもう北隣の上州西部の構成に似ているのかもしれない。