雨乞屋台

原文

今から千年も前の話で、平安の時代、阿久原に牧場があり、その別当職(長官)の偉い人が仕事を終えて京の都へ帰ったところ、元の位だった立場もなければ、一族だった者まで話し相手になってくれないほど、人々のかわりようはひどいものでした。そこで、この人はまた、阿久原の牧場の別当として帰って来ました。

二度と京へ帰らないためには、一族の勢力を大きくしなければならないと覚悟を決めた別当は、児玉の庄を広げようとして山を越して、児玉原の見下せるところに若い息子の家をつくり、そこに都を忘れないように若宮と呼ぶことにし、宮の住む場所だから宮内と決めて、大勢の家来には、開墾に精を出させたといいます。ところが、滝のあたりを住家として住んでいた大蛇(ながむし)の一族が村づくりに反対し、じゃまをするので困ってしまい、若宮は使いを出して父の別当に頼み、お百姓の神様で村づくり、子孫繁栄の神だと尊敬されている田心姫の命にお力を借りることにしました。

幸い天からおりて来た姫は、若宮の館に入り相談の結果、

「私が協力して、宮内の里を住みよい所にします。」

と自分でふれ歩きました。姫の美しさに見せつけられた大蛇族の悪知恵も歯がたちません。

それどころか噂を聞いて、金鑽様も面会に来たほどだというのです。

大蛇族もいろいろ相談したのでしょう。宮内の開墾に協力するかわりに、田心姫を大蛇族の司と結婚させてほしいとの申し入れに、若宮は、ただちにはねつけようとしたのですが、姫は笑顔を見せながら大蛇族の長にむかって、

「私にもいろいろの術がありますが、天より下る時いただちて来たこの手箱に入る術がありません。あなた方は、どんな小さな穴にも入る術を持っています。もし、この箱に入る術を身にもって教えていただけるならば、私は、術に負けたことで、皆様方の司の妃となってつくします。」

驚いたのは若宮ばかりではありません。どんな難題も引き受けますとお話した大蛇族の長老まで、

「今、私の子どもが一族のまとめ司としておりますが、ただ今のお言葉を信じた場合、いかようなる手順にしたらよろしいかおうかがいいたします。」

と姫に聞きました。すると姫は、

「この宮よりたつみなる大沼に、明朝、日の出と共に手箱を持参してお待ち申します。」

ふってわいた話に、大蛇一族は、夜明しでのお祝いとなったそうです。一方、若宮方では、いかに大蛇族変身の術でもこの手箱には入れまい。と、心配し、大蛇族がせめてこられないようにそなえを固めたそうです。

次の日のことです。まだ朝日も出ないのにこのあたりで、見たこともない美男子が、沼のほとりを一人で歩いているのを見た姫は、

「そなたは大蛇の司でございますか。」と聞きました。

「さようでございます。わたくしが大蛇族の司です。わたくしの身にとって最大の幸福、いつわりの無い心を表すために一人で参りました。」

「さようでございますか。では、天の神よりいただいてまいりましたこの手箱に、いかに変身してお入りになるや早速おためしください。」と司に近づきました。嬉しさを顔いっぱいに表した司は、手箱のそばによると、見る見る体を小さくし、箱の中にすっぽり入ってしまいました。

「いかがでございましょう。まだこれではふたはできませんか。」

「はい、どれためしてみましょう。」

と姫は手さばき鮮かに鍵までかけてしまいました。

姫は、天の神より授かった作戦を若宮にもらしました。そして、若宮に手箱を大沼に投げ入れさせ、さっそく池を埋めるように申しつけました。また、姫は大蛇族には天の神の指図だと申し伝えました。

ところが、大蛇族は司が沼に沈められるのは神を恐れぬ行いで仕方ないが、この里が日照り続きの時は、司の霊を呼び戻し雨を降らせることにするのでゆるしてほしいとたのんだので池は埋められませんでした。術に勝った姫は、大蛇の司にお気の毒だと若宮の家臣でも蛇族でも、この池を七まわり半、息もつかず駆け抜ける者がいれば私の姿を池表に現し郷(むら)をつくるために犠牲になった大蛇の司をなぐさめようと天国へ帰って行ったそうです。

 

時代がすぎて江戸時代のなかば、大日照りが幾日も続いたことがあったそうです。大蛇話はどなたもしたが、司の霊を呼びもどす方法がわかりません。お稲荷様に祈願に行った年寄りが、「そうだ。大八車に大蛇の姿をつくってのせ、手箱池のまわりでもまわってみたら。」と何となく思いついたのだそうです。早速、村の人々の会議となり、「もしそれで雨が降ったらお礼に雨乞い屋台を作って、若宮様へお礼をしよう。」ということが決まりました。大八車二台にわらでつくった大蛇の胴体に杉の枝をさし、頭を頭梁が作り上げ、道をつくり、「蛇神様雨を降らせてくれ、田心姫おねがいします。」と拝みながらまわりました。五まわり目になると、急にくもり出し、まっくらになって、大八車二台をうまくあやつれずとまどっていた時、待ちに待った雨が降り出し、空っぽだった手箱池も、たちまち道まで水びたしになってしまいました。村人たちは、仕方なしに、大蛇をつけた大八車を置いたまま、びしょぬれのままで家に帰っていきました。早速、雨乞屋台を作る会議がまとまり、できあがって若宮様にお礼参りをしたそうです。その後、かんばつの時はその屋台を出すと必ず雨が降ったそうです。

今、若宮様の御宝蔵に解体された屋台は、何百年もの物語を秘めて出番を待っていたわけです。たまたま字の役員会でお九日(おくんち)を機会に昔話を思い出し、屋台の虫干しをかねそうじもしてみようということになり、そうじをしながら組立てを始めると、もう雨が降ってきました。役員の皆さんは、こんなにはやく雨が降ってきたので、おどろいてしまいました。

できあがった屋台は、とても大きく、それは天囲絵(てんじょうえ)などすばらしいものでした。(児玉町金屋・「児玉の民話と伝説」中巻 田島三郎氏著より)

児玉郡・本庄市郷土民話編集委員会
『児玉郡・本庄市のむかしばなし 続』(坂本書店)より