昔、三輪の藤柄沢に水が湧き出す大きな釜のようなところがあり、釜穴と呼ばれた。この水はあたりの水田を潤し、旅人の渇きを癒した。晴天が続いて近くの家の井戸が涸れても、釜穴の水は涸れることがなかったという。
ここから流れる水は堀いっぱいに流れ、いつの頃からか鯰が棲むようになった。近くの人たちは鯰は水神様の使いとして取らなかった。ところが、ある夏に隣村の人たちが大勢で来て、この釜穴にたくさんいる鯰を取ろうとした。
その時、大きな地震が起こって、隣村の人たちは水神様の祟りだと恐れ、びっくりして逃げ出したそうな。また、それ以来、釜穴からの湧き水は少なくなり、魚などはいつの間にかいなくなってしまった。
現状は不明。小川地区では、このような湧水の穴・池をまま釜穴と呼ぶ。渓流に見る釜淵(滝壺ないし甌穴状の淵)とは異なるようだ。片平のほうにも「かまあな」という湧水があり、そちらでは蟹がヌシだったという。
むしろ、蟹がヌシである、というほうが重要かもしれず、上宿のほうにも(これは釜穴とはいわないが)、湧水のヌシの大蟹退治の話がある(「ガニックレ蟹退治」)。
もし、三輪の話ももとは蟹の話であり、地震といえば鯰だろう、という下っての了解によって鯰に置き換わったのだとしたら、そこには蟹を害したので地震が起こった、という話があった、ということになる。
蟹のヌシの話には、それが地殻変動のことを暗示しているのではないかという側面があり、もし本当に鯰が蟹であったとしたら、まさにそのような話であったことになる。もっとも、那須に限らず野州となると、鯰がヌシであるという話も少なくないので、今のところひとつの可能性の話となるが。