大蛇と大うなぎの夫婦

茨城県行方市

山田に七淵ヶ池(なぶつが池)といって、大小七つの池が並んでいたが、その主は雌の大うなぎで、玉造手賀の権太夫池の雄大蛇と夫婦だった。

そんな七淵ヶ池の畔で、ある朝一人の農夫が目の覚めるような美人に呼び止められた。女は、急の用件があるので、権太夫池へ手紙を届けてほしい、という。農夫はそちらへ行く用があるから、と承知し、山道を急ぎ足で行った。

途中農夫は山伏に会ったので、権太夫池への道を尋ねた。すると、山伏は農夫に凶兆あるのを見抜き、訳を尋ね、件の手紙の封を切って見てみた。するとそこには、この手紙を持参するものを呑んでしまえと書いてある。

山伏はカラカラと笑って、これを告げ、農夫は青くなって家に逃げ帰って命拾いをした。山伏は鹿島大神の化身であったのだろう、と村では評判になった。

小沼忠夫『北浦の昔ばなし』
(筑波書林)より要約

権太夫池(沼)のある玉造手賀のほうにもほぼ同じ話がある(山伏が白髪の老翁で、稲荷の化身だったという幕となる)。『集成』にもあるが、そちらでは農夫は手紙を開けて中身を知るが、権太夫のご馳走になってしまった、というよくわからない幕となっている。

これは「水神の文使い」という話型のもので、全国に類話がある。しかし、水神はともかく「文使い」のモチーフとなると遠くヨーロッパにまでのびるものとなるので、今はそこはさて置く。