熊川の主争い

福島県双葉郡大熊町

昔、野上の中組に次郎太という名主がいた。ある晩、次郎太がふと目を覚ますと、枕元に綺麗な娘が座っていた。驚いた次郎太が跳ね起きると、娘は手をついて、自分は蛇ばみが淵に住む熊川の主の大鯰なのだと告げた。そして、下流に住む水蜘蛛と主争いをすることになったので加勢してくれないかといった。

その果たし合いは、明日の晩に蛇ばみが淵で丑の刻よりはじまるから、そのとき大声で「俺は中組の次郎太だ」と叫んでくれればいい、という。次郎太は娘に深く頭を下げられ、必ず加勢するから、と約束した。

主争いの夜は、雨の降る真っ暗な晩だった。次郎太は蓑笠をつけて淵に急いだが、もう戦いは始まっていた。淵は波が坂巻き、水柱が立ち雷雨が襲う中、稲妻に照らされて、黒い大鯰と白い水蜘蛛が死闘を繰り広げていた。次郎太は、今だ、と思ったが、恐ろしさに声にならず、震えが止まらないまま這うように逃げてしまった。

次郎太は我が家の軒下で気を失っていたが、朝になり我に返って、恐る恐る蛇ばみが淵へ行ってみた。すると、淵には白い腹を上に向けた大鯰が恨めしそうに目をむいて死んでおり、勝った水蜘蛛がギラギラと目を光らせていた。それから熊川の主は水蜘蛛になり、次郎太の家はだんだん落ちぶれてしまった。

大熊町図書館『おおくまの民話』より要約

野上は熊川の上流部となり、野上に入っては野上川ともいうようだが、蛇ばみが淵は不明。舘沢というところだというが、その舘沢がわからない。その名の淵の主が大鯰というのも妙だが、別に大蛇がそこで討伐されたのだという伝説もある。

ともあれ、こちらの主争いの話は、宮城に入って好んで語られる、仙台の源兵衛淵の話だとか(蜘蛛と鰻が争う)、蔵王の三階滝の話だとか(蟹と鰻が争う)と同じものだ。それがここまで南下して語られたものか、あるいはもともとより広く好まれる筋であったのか。