むかし。
野上の里さ、中組の次郎太という名主が住んでいだど。
ある晩のこと、次郎太が真夜中にふと目を覚ますと、綺麗な娘が枕元さ座っていだど。びっくりして跳ね起きっと、娘は静かに手をついて、
「お騒がせ致しましてすみません。実は私は蛇ばみが淵に住む、熊川の主の大鯰です。
近頃、熊川の下流に住む水蜘蛛が、だんだんと威張りだして、とうとう、明日の晩の丑の刻に、蛇ばみが淵で主争いの果しあいをすることになったのです。
そこで、丑の刻になったら、淵のほとりにそっとおいでください。
果たしあいが始まったら、大声で
『俺は中組の次郎太だぞ』と叫んでいただけないでしょうか。
このことをお願いに参ったのです」
ど、頭を深く下げて言ったど。
「いいとも、いいとも、きっと出かけて加勢してやっから」
人の良い次郎太はうなづいて約束したど。
ほうしたら、娘はうれしそうになんべんもおじぎをして、いそいそと帰っていったど。
約束の夜になったど。ほの晩は宵のうちから、シトシト雨が降り真っ暗な晩だったど。
次郎太は蓑、笠をつけてただ一人、松明も持たねえで、手探りするようにして蛇ばみが淵さ急いだど。
次郎太が着いた時には、もう戦いが始まっていたんだど、淵さはドウドウと波が逆巻き、水柱が立ちのぼり、雨足が強くなったかと思うと、いきなり雷様(らいさま)の音がしてきたど。
ピカッ!ゴロゴロ! ほこらへんは稲妻(いなびかり)で明りくなって、見たらば、黒い大鯰と白い水蜘蛛が上になったり下になったりしてもつれあって戦っているのが見えたど。
「今だ!」と思った次郎太は「俺……! 俺!」と叫ぼうとしたんだげんちょも、声になんねえで、口をぱくぱくしているばっかりだったど。あんまりの恐ろしさに、髪の毛は一本一本逆立ち、体は全身鳥肌立って、震えが止まんねがったど。
無我夢中で地面を這うようにして、ほこがら逃れた次郎太は、我が家の軒下にたどり着くなり、気を失ってしまったど。
ほれがら、しらじらと夜が明け始める頃、雨も止んで、藁屋根さしみた雨だれがポトリ、ポトリと落ちていたど。次郎太の顔さも落ちていだど。
ほの冷っこさで、我に返った次郎太は恐る恐る、蛇ばみが淵さ行って見だど。
淵さは白い腹を上に向けた大鯰がうらめしそうに、目をむいて死んでいた。傍さは勝った水蜘蛛がギラギラと目を光らせていだど。
こうして、水蜘蛛は熊川の主になったんだど。
それがら、次郎太の家はだんだんと落ちぶれていったどいう話だ。
おしまい