古舘の西、古町に姥神様の石祠がある。桙衝神社の祭礼の假舎が設けられた。姥神様は鹿島様に付いてきた神といわれ、祭神は蛭子神とある。夷神であり、宇賀神である。この宇賀神がウバ神に転化したのではないか。中世には假舎の神輿を中心に賑わったので、市神様でもある。
姥神様は不詳(写真は元話サイトに見える)だが、式内社である桙衝神社の境外摂社ということだろう。桙衝神社は明治のはじめまでは桙衝鹿島神宮といっていたというので、確かに鹿嶋大神の眷属の社ではあるのだろう。
これが姥神のようになることは常陸にもままあり、いくつかの手子后神社や、麻生の嬪の宮にはそのような面がある。ただし、これが蛭子神であるとか、だから宇賀神なのだ、というのはよくわからない。中通りのほうではそうつなげて、ああなるほど、と納得できるものなのだろうか。
これは姥神が機織り姫と近しく祀られたり、弁天と近しく語られたり、という周辺の気風と関係してくる(「弁天様の話」など)。そのイメージの古いところに鹿嶋の神の足跡が関係するのかも、ということになると、大変な話になるが。