黒沼大明神

福島県福島市

奥州信夫・伊達の平地は、昔は湖水であり、黒岩村の峰に大蛇が住んで人々を悩ましていた。殊に、羽黒大権現に参詣しようとすると、浪荒れて船で渡れないため、安達の人々は対岸より礼拝したので、そこを伏拝村といった。

欽明天皇の御宇、大蛇のことを聞いた帝は、三十三人の官女を連れて下向され、伏拝の岸に船を出し、官女たちに管弦を奏させ、おびき出した黒岩の大蛇を帝自ら射殺し給うた。

大蛇が三日三晩のたうったところを、伏拝の岸の雷電沢という。大蛇の死骸は、羽黒山黒沼に埋められ、これが黒沼大明神と祀られた。帝は官女たちを信夫伊達に止め給うたが、この跡を三十三所の観音と礼し給う。(『信達古語名所記』の部分を要約)

『日本伝説大系3』(みずうみ書房)より要約

湖水伝説としての面は、信達湖水伝説のほうから追っていただくとして(こちらの話では「それで水が退いた」とは特に強調されない)、黒沼神社と大蛇のことをよく覚えておきたい。黒沼神社は式内の社であり、今も信夫山の南東麓に鎮座されている。

信達が湖水だったというなら、その中に浮かぶ島となる端山であり、湖の中にあったころは吹島と呼ばれていたそうな。すなわち「福島」とはこの島に他ならないのだという。湖水伝説を伝える地では、ままこのような端山が太古の島と語られ、今も伝説の中心をなしているものだ。黒沼明神はその代表格であるといっていいだろう。

ところで、黒沼神社はもう一社ある。話に出る南岸側の伏拝を越え、信達平野をはずれた福島市松川町金沢にも式内黒沼神社だという社がある(小字宮ノ前)。黒鬼のいる黒沼があったとか、大蟹がいたとかいう話はそちらのほうになる。境内に足尾神社(阿武隈大蛇)なるものも祀られているそうな。