黒沼大明神

原文

抑ぐ、奥州之内信夫、伊達両郡は昔平地の内は、湖水にて、上代は信夫郡を水保郡と申しける由。其の頃黒岩村の峰に大蛇住みて人民をなやましける。殊に羽黒大権現の御山へ参詣のもの、浪あれて船かなはず故、南郷安達の人々は伏拝村の岸にて礼拝して帰りける由……其の頃は人皇三十代欽明天皇の御宇なり。大蛇のこと奏聞申しける故、帝様三十三人の官女をつれ立、都より御下向ありて、信夫伏拝の岸に官女軍勢を御堅め、紫の旗を立て船を出して官女たち管弦をめされ、此いさめにて黒岩の大蛇浪にうかみ上りけるを、欽明帝御自ら射殺し給ふ。三日三夜は苦しみ、しんどうてんてんして終に伏拝の岸の雷電沢にと今に申し伝へけり。此蛇を羽黒山黒沼に埋め、則、黒沼の大明神と祭り給ふ。……帝みことのりして三十三人の官女たちを信夫伊達に止め給ふ。後に此跡を三十三所の観音と礼し給ふ。(『信達古語名所記』)

※なお、一本には大蛇を退治したのは欽明天皇ではなく日本武尊と記されている。

『日本伝説大系3』(みずうみ書房)より