神の蛇

タイ:北部タイ(ミャオ 苗)

三人の美しい娘を持つモン族の老人がいた。彼が畑を開墾しに行くと、一本の大木があって、刃を入れてもすぐ元通りになってしまい、びくともしなかった。そこへ一匹のマムシがやってきて、自分が木を倒したら三人娘のうちの一人を嫁にくれるよういった。

老人が約束すると、蛇は尾で根を掘り起こして大木を倒し、口から火を吐いて燃やしてしまった。老人が、約束を守るために娘たちに蛇の妻になるかと訊いたところ、上の二人は拒絶し、末娘の三女が承諾した。

三女が大きな箕の中で眠っている夫の蛇を見ると、その姿は輝く光輪を発し、美しい若者に変身した。二人は水宮へと去ったが、すばらしい若者と結婚した三女を羨む姉たちが、三女をだまして川に突き落とし溺れさせた。

しかし三女は青い鳥や竹やぶや銀の指輪などに生まれ変わり、その都度姉たちに殺されながらも、再度より美しく生まれ変わって戻った。その美しさの秘密が滝で水浴びしたことにあると知った姉たちは滝に飛び込んだが、彼女たちは水に巻かれてしまった。蛇の若者と三女は子どもたちと幸福に暮したという。

チャンヴェトキーン:編・本多守:訳『ヴェトナム少数民族の神話 チャム族の口承文芸』(明石書店)より要約


モン族の老人とあるが、タイにも多いモン・クメール系のモン族ではなく、苗族の支流であるモン族のことだろう。この二つのモン族は全く別の人たちである。

日本では田螺長者の話以外にはあまり見ない流れだが、世界的には蛇聟や蛇息子の話は、このように結婚後美しい人の若者の姿に変身するというものが一般的であり、娘姉妹側の展開がシンデレラストーリーとなっていくのも一般的である。

つまり、後半の流れは極めて広くたびたび語られるものであり、際立ったところはない。問題なのは、「元通りになってしまう大木」を蛇が倒して「火で燃やしてしまう」というモチーフだ。

日本ではこのような大木・霊木は、むしろそれそのものが蛇聟のような精として人の娘の前に現れるのであり、竜蛇的な存在の位置取りが異なっている。どこかに何らかの分岐点がある、というか「分岐点がありうるもの」と心得ておくことが重要だ。