大聖山のおろち

北朝鮮:平安南道平壌市

高句麗は二十八代宝蔵王の時、唐と新羅に挟み撃ちにされて滅びた。この際、刑死寸前の王を思いがけない救い主が出現して助けたという伝説がある。

平壌王城・安鶴宮のすぐ後ろに聳える大聖山の奥深く、一匹のおろちが棲んでいた。このおろちが年に何度か水浴びのために雲を呼んで白頭山へと出かけるので、平壌には時ならぬ大雨や大雪が降るのである。

さて、高句麗が南北から攻め立てられ落ち、王や重臣たちも捕らえられ、城外の刑場で今まさに斬首されようかという時、ひときわまばゆく稲妻が走り、あたりが暗闇となったかと思うと豪雨となった。そして、豪雨が止み、人々がざわめいた。断頭台に据えられていた王と重臣たちの姿が掻き消えてしまっていたのだった。続いて高句麗の人々は空を見上げて歓声を上げた。そこには王と重臣たちを背に乗せて悠々と空に浮かぶ大蛇の姿があったのだ。

このおろちは言うまでもなく大聖山の主であった。滅びゆく高句麗を哀れんで、せめてものなぐさめに雲を呼び、雨を降らせて王を救い、高句麗の民を喜ばせたということである。

朴 栄濬『韓国の民話と伝説2』(韓国文化図書出版社)より要約


高句麗の神話というのも金蛙とか河伯の娘とか日光感精・卵生の王だとか、近い要素は散見されるのだが、直接竜蛇は出てこない。が、では高句麗はあまり竜蛇の国ではなかったのかというとそうでもない。このように、その王城の後背の山には大蛇が住んでおり、落城の際には空を舞い王を救ったという伝説がある。やっていることは龍のようなのだが、一貫して「おろち」と表現されている点も重要だろう。

もとより宝蔵王は高句麗滅亡の際殺されてはおらず、唐より地域の経営を任されている。そんなことをしたら当然高句麗復興を目指すにきまっているのでありまして、実際そうなる。史実としても滅亡後の活躍という「つづき」があるのであります。そのあたりはさて置くが、つまり、この伝説は「歴史上はそこで死んだとされているが、実は死んでいなかった」ということをいっているわけではない点には注意。なぜ唐は宝蔵王を殺さなかったのか、というような話ではあるかもしれないが。

さて、朝鮮半島にも家の守り神を蛇として祀る民俗が色濃いが、この大聖山のおろちは王城を守るスケールアップしたそれというところだと思う。高句麗の聖なる山というとまず白頭山だが、家を守護するヌシの棲む山、というような方向からは大聖山が重要になりそうだ。本当に高句麗の時代においてその信仰形態があったというならば、十分に高句麗も竜蛇の国であったといえるだろう。