新羅始祖 赫居世王(後半)

韓国:慶尚北道慶州市

(赫居世が生まれ)人々は争って祝ったが、同時に当然徳のある女君を探して配偶を決めねばならない、ということにもなった。この日、沙梁(セト)里の閼英(アルオル)のそばに、鶏竜が現れ、左の脇より女の児を一人生んだ。容姿がことさら美しかったが、唇だけが鶏の口ばしのようであった。月城の北川につれていって沐浴させると、その口ばしが抜けてとれた。それでその川を撥(バル・抜)川といった。宮殿を南山の西のふもとに建てて、二人の聖児を育てた。男の子の生まれた卵は瓠(ひさご)のようであったので、その意の朴という姓とし、女の子は生まれた井の閼英の名とした。

二聖が十三歳になった時、王と后となって、国号を徐羅伐(ソラボル)、または徐伐(ソボル)、あるいは斯羅(シラ)または斯廬(シロ)とした(后が鶏竜から生まれたので鶏林国というともする)。後世にいたって新羅と国号を確定したのである。

国を治めること六十一年目に、王は天に昇ったが、その後七日たって、遺体が散って地に落ちた。后もまた亡くなった。人々が二人を一緒に葬ろうとすると、大蛇が邪魔したので、五体を別々に葬り、五陵または虵(蛇)陵と名づけた。

金思燁:訳『完訳 三国遺事』(明石書店)より要約


新羅を建国した赫居世の誕生伝説。前半部分は以下を参照されたい。

そしてこの後半部分。『三国史記』では赫居世が王位に就いた際に閼英が生まれる(そこでは井から出た竜が産んだとなっている)ということになっていて、年がずれる。が、始祖王と竜の子の后が同時に生まれて同時に死んだという『三国遺事』の筋は極めて魅力的ではある。そういう筋は他にあるだろうか。

鶏竜なる存在がいかなるものかは不明。一方で竜から生まれたというから竜なのだろうが、鶏林というと鶏のイメージが勝るようでもある。また、最後の二聖の埋葬を大蛇が阻んだという件(『三国史記』には見ない)もよくわからない。わからないが「虵(蛇)陵」というのは捨て置けぬ名である。

この後半はかなり先に行ってからでないと扱えそうにないが、こういう摩訶不思議な伝が新羅建国にはあるのだと覚えておかれたい。

新羅始祖 赫居世王(前半)
韓国:慶尚北道慶州市:六部の祖たちが国を築き王をいただこうと相談し、白馬の拝する卵を見つける。