生まれたばかりの力士を殺す

韓国:蔚珍郡北面新花里

仁祖の頃、蔚珍郡北面新花里に青龍街という村があり、田という貧しい夫婦が住んでいた。年をとっても子がなかったので、裏山に祭壇をこしらえて、百日間の祈祷を捧げた。すると、百日が終わるころに妻が妊娠し、月満ちて男の子が生まれた。

ところが、この赤子は生まれるとすぐ歩き出し、三日もたたないうちに飯を食うようになり、すぐ少年のように成長した。両親はこれは力士(あるいは英雄)ではないかと、悲嘆にくれるようになった。当時は力士が生まれると逆賊になり、村が滅びるという考え方があった。妻が村人にこのことを知らせると、皆は相談してこの子を殺すことを決議した。力持ちの青年三人が大きな石を運んできて、力士の子の上に置いた。子どもは石に圧され、数日呻き苦しんだ挙句死んだ。

と、その時。いきなり空が暗くなり稲妻が発生した。そして東海から青龍の馬が飛んできて、村の入り口で二三回鳴いてから再び東海に向け飛び立ち、海に落ちて死んだ。その海辺には今も馬の塚があり、そのため村の名を「馬墳」と呼ぶという。また、この力士の子が生れた村は「青龍街」というようになった。

死んだ力士の墓のまわりには数ヵ月間数えられないほど多くの火蟻が集って剣と弓をかつぎ、訓練する様子があったという。

崔仁鶴『朝鮮伝説集』(日本放送出版協会)より要約


馬は死を象徴する存在でもある。本邦では各地に首のない馬が徘徊する怪の話があり、見たら死ぬ。ユーラシアを反対にわたっても、黙示録の蒼ざめた馬を皮切りに、北欧のスレイプニルは死の世界との往復もする存在であり、それそのものが死を象徴しもする。アイルランドのデュラハンという怪は「首のない馬」に騎乗する騎士だが、近く死人の出る家の近くに出現するという。乗っているのは女だという話もあり、そうなると本邦の首なし馬に乗る「夜行さん」と近い。

より身近には、お盆のときに今でも盛んに準備される藁馬もあの世との行き来をする馬だ。祖霊が帰ってくる際の乗り物とされる。これが蛇との大きな交点であり、霞ケ浦周辺では同様の役割を持つのは蛇であり、盆綱という蛇に乗って(あるいは蛇そのものとして)祖霊は帰ってくる。

そこで韓国朝鮮の事例を見ると、このように「力士」の生死に関して竜馬が登場する。最後の火蟻の件は意味がよくわからないが(亡魂が小さな虫の集団と化す、という伝はままある)、ともかく竜馬が力士の死に際して送り迎えのようなことをしている場面が語られている。すでに紹介した平昌の竜馬伝説も、こういった異能の子の死と竜馬の死がパラレルに語られるものであった。韓国朝鮮の竜馬には、こういった異能の人の死に際して現れるという特徴がある。

竜馬の出てきた墓
韓国:江原道平昌:異常な成長をする子が恐れられ殺され、埋められたところから竜馬が飛び立ったが、これも死んだ。

こういった面は本邦の竜馬・名馬の伝にはあまり見られないのだが、こうしてお隣の様子を見ると、死を象徴する馬の伝と竜馬とは密に関係するものだということがわかるだろう。さらに、当該の壮士と「セット」というわけではない竜馬がその壮士を天に導くという筋もあるので、併せて見ておきたい。

龍馬淵
韓国:慶尚北道大邱鳳徳洞:百将軍の異名を持つ力士が、策を用いて龍馬を捕らえる。