針と大蛇

韓国:慶南東莱郡亀浦

昔、ある富者の家に、男の子はなく、一人娘だけがいた。どこから来るのか、この娘の寝室に毎夜半一人の美しい男が、障子の紙一つ動かすことなく入って来ては鶏の鳴かないうちにまたどこともなく消え去ってしまうのであった。そしてふしぎにもその男の体には何だか温かみがなかった。(邪物だから温かみのあろうはずはない)。近頃はどうも娘の行動が変だと気付いた父は、夜中ひそかに娘の寝室を巡回してみた。すると果してその窓に怪しげな男の影が映っていたので、翌日娘を呼び出して厳重に調べると、娘はかくかくと始終を白状した。そこで父は娘に「では今夜またその男が来るだろうから、絹糸一梱を用意し、その端に針を通しておいて、男の裾にそれを刺してやれ」といいつけた。その晩も例の男が来たので娘は父に教えられた通りにした。男は針に刺されるや、びっくりして逃げ失せた。あくる朝糸について行ってみると、うしろの山の中にある大きな窟の中に大きなうわばみが一匹、針にうろこを下から刺されて死んでいた。鉄と蛇は相剋だから、あんな小さい針に刺されても大蛇が死ぬものである。

一九二三年十一月、慶南東莱郡亀浦、朴氏夫人談

孫晋泰『朝鮮の民話』(岩崎書店)より原文


朝鮮半島の蛇聟譚。日本の蛇聟譚が結末として「盥一杯の蛇の子を生んで娘は死んだ」などとなって、素性の知れぬ男と通じることへの戒めとして語られる筋が多いのに対し、朝鮮半島の方ではそういう結末の話は見ない。もともとは同じくそのようなものだった可能性はあるが。次の話なども良く似たものだ。同じ東莱郡のことであり、あるいは同話かもしれない。

夜来者
韓国:慶尚南道東莱郡:長者の娘の所へ夜な夜な訪れる少年に針糸をつけて辿ると、その正体は白い青大将だった。

ここでよく覚えておきたいのは「鉄と蛇は相剋だから、あんな小さい針に刺されても大蛇が死ぬものである」とはっきり「相剋」という言葉が用いられていることだ。五行説によると蛇は木気であり、金は木を尅すという原理から蛇は金気を嫌うという話が生れたのではないか、と吉野裕子は論じた。

しかし、日本では(あるいは中国朝鮮でも)蛇は概ね「水」の化身であり、五行相剋の理とはズレがある。あえて結びつけるならば、水生木の理から、蛇は水から生まれた最も原初的な木気の存在なのだ、というように考えられなくもないが(例えば水中の大木と思ったものが蛇だった、という話が大変多いことなどを思い起こされたい)。いずれにしても、そのような問題に対して、風水の国韓国では「鉄と蛇は相剋」と表現していることは注目される。