千鳥ばなし

福岡県古賀市舞の里

昔、今は久保の池から水が流れ出る溝のそばに、千鳥という娘が母親と二人で仲良く暮らしていた。その母親が重い病にかかり、もうもつまいとなった際、千鳥に向かって、この後は決して鏡を見ないように、見なくてもおまえは十分美しいから、と言い残した。

しかし、母が死んで一か月、遺言を守って鏡を見なかった千鳥だが、見るなといわれれば見たくなるものであり、鏡を取り出してきて自分の顔をのぞいてしまった。すると、母が言ったとおりに顔は美しかったが、母のつややかな髪とは違って千鳥の髪は縮れあがった醜いものであった。

あまりのことに狂ったような声を出して泣き伏した千鳥は、母を恨み、外は急に大嵐となった。濁流が千鳥の家を押し流し、そこは大きな池になってしまった。千鳥はいつのまにか白い蛇となって、その池の中を泳ぎはじめたという。(後半略)

未来社『福岡の民話』より要約


千鳥ヶ池は今もある。この後は、池のヌシとなった蛇の千鳥が、何年かのちに近くに住んだ男のもとへ嫁としてやってくる、という話が続く。子は生れぬものの蛇女房(蛇報恩)の話と続くのだが、ガラッと筋が変わるので別稿とした。

千鳥ヶ池
福岡県古賀市舞の里:池そばに仲良く暮らす夫婦には、夫は家に入る前に咳払いをせねばならないという不思議な約束があった。

とはいえ、もしこれがもとから一続きのものとしてかたられていたのならば、蛇女房の誕生を語った珍しい事例であるといえる。

ざっと話を見るだけだと、千鳥が蛇になるほどの話なのかとピンと来ないかもしれないが、これは広くみられる二つの女人蛇体に関係するモチーフの組み合わせでそれを予告したものとなっている。

ひとつは「鏡の禁」だ。顔に痣があったり、千鳥のように奇妙な髪であったりという理由で親から鏡を見ることを禁じられていた娘が禁を破り、その衝撃で蛇と化す、という筋は全国で語られる。痣も髪も女人蛇体と関係が深いが、やはり「鏡の禁」がポイントなのだろう。「この娘は鏡を見せたら蛇になってしまう娘だ」というニュアンスが含まれている。

もう一つは特異な髪だ。多くは水神の竜蛇に見染められた娘の髪は「異常に伸びる」という流れで語られるが、中にはとげのようになってしまったり、みな枝毛にささくれ立ってしまったりもする。おそらく千鳥の縮れ毛も、そうした話の流れにあるものだろう。

髪長池
三重県四日市市山之一色町:異常に喉が渇いて池の水を飲んだ娘の髪が伸びる。

そして、いま一つの点を少しポイントしておきたい。それは「千鳥」の名そのものだ。これは地名(池名)が先にあっての話だろうが、そこに跛行・いざりのニュアンスが含まれているのじゃないかと思う。もっとも、蛇体となる娘の名に千鳥がよく見えるという観は今のところはない。