石川県小松市安宅
昔、安宅のある川のほとりに小屋があって、そこにはオタニというまことにきれいな小娘が、ひとりカイコを育てておった。
どうしたわけだか、オタニは近ごろ桑の葉をやらないもんで、カイコがうらみに思った。そして、すきを見てオタニの体にはいあがり、肉を食おうとした。一匹や二匹ならそんなでもないが、うじがたかるみたいに、数知れぬほどはいあがってくるので、オタニは頭の髪をさかだててふるえあがった。
気が狂うたようにはらいのけてみるが、なんのかいもないので、家を走りでて前の川へとびこんだ。そうすればカイコが息ができなくて死ぬだろうと思ったからや。
ところが、そのカイコというのはただものでない、川のヒメ魚のでかいでかいやつやった。
じつのところ、そのヒメ魚は前からオタニがすきでたまらなんだ。だからカイコに化けて近づいとったわけで、オタニが川へとびこむなりもとのヒメ魚になって、いとしいオタニを川底へひきずりこんでしもうた。
かわいそうなこっちゃ。それで、この川をオタニ川と呼ぶそうな。
能美郡誌
未来社『日本の民話12 加賀・能登・若狭・越前篇』より原文
蚕にまつわるいろいろな伝承の中には、竜蛇信仰と密接につながるものがままある。そもそも棚機姫は竜神の蛇体を織っていたというのならば、当然と言えばそうなのだが、では「蚕」そのものが例えば「さなぎ」などの名を通して蛇と直結していたのかというとよくわからない。
蚕が水性を帯びた存在として意識されることがあったか、ということだ。現状特にそういうことを言う話は知らないのだが、ひとまずこの「おたに」を襲う蚕は「ひめ魚」というモノが正体であった、とされている。
ひめ魚がおたにが「すきでたまらなんだ」ので水に引いたというなら、これは水のヌシの雄竜蛇に同様する存在と言っていいだろう。ただ、「ひめ魚」が何らかの実際の魚をいっているのか、そのような怪がいるといっているのかよくわからない。ヒメ目の魚というのはあるが、これは海水魚だ。
とてもこれで蚕も蛇なんだ、などということにはならないのだが、もしかしたらいずれ外堀の一部、くらいにはなるかもしれない。