茶臼山の白龍池

東京都稲城市東長沼

長沼の茶臼山の中腹に小さな池があった。遠いむかしこの池から長さ五尺(約一・五メートル)ばかりの白い大亀が出たことがあって、この山を白亀山、池を白龍池と呼ぶようになった。この池は霊泉でどんな旱の年でも涸れることはなかった。

奈良時代、旅の坊さんがこの池のほとりに草庵を作って、仏像を刻まれた。出来上がったのは阿弥陀さまの座像と、観音菩薩・勢至菩薩の立像と、仏さまを守護する増長・多聞の二天像であった。旅の坊さんは仏像が出来るまで朝夕に、白龍池の水を汲んで炊飯したり飲み水にした。

この仏像を作られた坊さんは、有名な行基菩薩であった。今は常楽寺の阿弥陀堂に安置されて、大勢の人の信仰を集めている。

『稲城市史 下巻』より原文


茶臼山とはかつて京王線稲城駅の南側にあった山で、もっぱら城山といい、長沼城があった。今は削平されて山そのものがない。かつては、その池があったというところに弁天さんが祀られていたという。

同一の丘陵西隣百村には青龍にのって天下った妙見さまの伝もあり、何らかの関係があったと思われる。妙見さまが天下ったのも天平宝字四年(七六〇年)と、行基の時代に近い。

青龍にのってあらわれた妙見さま
東京都稲城市百村:青龍にのった妙見さまが天下った伝にちなみ、百村では青萱の龍を作る。

さらには多摩川の向こう側、狛江の玉泉寺や深大寺と比較して、この稲城の黎明期の水と仏の伝を見ていく必要もあろうかと思う。