金売り吉次

千葉県印西市内:旧印旛村萩原

昔、奥州の金売り吉次が萩原の荒神左近の家に泊まった。吉次は砂金を商っていて大金を持っていたので、左近は吉次を印旛沼船上で殺し、金を奪い取ってしまった。

数ヵ月後、吉次の弟吉兵衛が兄を探してやってきた。左近は吉次の足取りがこの地で止まっていることから真相がばれるのを恐れ、吉兵衛も殺してしまった。さらに、もう一人の弟吉三郎も訪ねてきたが、左近はこれも殺してしまった。

その後、左近の囲炉裏の自在鉤に三匹の蛇がまとわりつくようになった。赤・黒・白の蛇を見た左近は、吉次三兄弟の祟りだと恐れ、印旛沼の近くに墓を建てて供養した。それから蛇は出なくなったが、屋根替えの時に屋根をほごしたら、三匹の蛇が固まっていた。

以後、同家では屋根替えの際は半分ずつ行って蛇の居場所を残したという。本埜村に吉次オッポリと呼ぶ沼があり、もと吉次たちの墓が建っていた場所であったが、江戸時代に印旛沼の洪水で堤が切れ、沼となった所と伝えられる。

『印旛村史 通史 II』より要約


『平家物語』にも登場する金売り吉次の伝説というのもあちこちで語られ、またその墓というのもたくさんあるが、これが竜蛇と関係するのかといったら普通はしない。ところが、この印旛沼畔の伝では、殺された吉次兄弟の怨念が蛇になったというのだ(荒神左近は盗賊の頭)。

これは難しいところで、果たしてこの伝説は「金売り吉次」である必然があるのかどうか、という気もする。むしろ六部殺しの伝の一系が蛇の話に接続した(そういう話ならままある)というくらいのものかもしれない。

しかし、そうであったとしても興味深い話である。茅葺藁葺などの屋根中にいる蛇というのは屋敷神の蛇であり、多くはその家の祖霊が蛇の姿をして守護している、というような存在である。これが吉次兄弟の怨念ということになると、御霊が屋敷神化している、ということになる。

すなわち、屋敷神の出自に関してもそう単純化はできない、ということを考えさせる話となっている。確かに名一族で祀る荒神(竈神ではない)などにはその側面がままあり、祀り方を間違えるとたちどころに障るという。

そういった感覚の根強い中国地方の方のみさき・荒神信仰などと比べてみながら読み解くべき話であるかもしれない。