大ムカデ退治

韓国・京畿道安養市

昔、一人の盲目の父が、娘と二人で暮らしていた。娘はやさしく、貧しいのに台所に来るひき蛙に飯など与えてやっていた。凶作の時も、変わらずひき蛙には食べさせたので、蛙は大きく成長していた。

ある年、一段とひどい凶作となり、官民は神にいけにえを捧げることとした。これを聞いた娘は、自分がいけにえになりその報酬があれば父は生きていける、と思い、いけにえとなる決心をした。そして、父とひき蛙に別れを告げ、夜のダン(堂)に一人置かれた。

覚悟して目を閉じていた娘だったが、堂の中で何者かが争う音がし、稲妻のように光に打たれて気を失ってしまった。それは、娘を食おうと出てきた箕のように大きな百足と、飛び出した引き蛙が毒を吐きあって争う時に出た稲妻の光だった。

翌朝、村人たちが娘の骨を片づけに来ると、堂の中には大百足とひき蛙が死んでいて、娘は気絶していたが無事だった。これから娘をいけにえとする悪風はなくなったのだという。

崔仁鶴・厳鎔姫『韓国昔話集成2』
(悠書館)より要約

崔仁鶴が話を聞いたのが安養ということでそこの話としたが、これは昔話として広く語られるようで、各地で語られた報告がある。孫晋泰『朝鮮の民話』には「大蛇(またはむかで)退治伝説」としてあり、生贄を取るのが大蛇であっても百足もあってもどちらでも通るような話として紹介されている。

さて、話そのものは取り立てたところもない生贄の伝説であり、蛙報恩の話が韓国にもよくあるのだね、というほどなのだが、問題は同『韓国昔話集成2』のこの話の解説に書かれている一文にある。話のヴァリアントとして……

「ムカデは神通力があって、日照りにもできるし、雨を降らせることもできた。村の人たちは山に祠を建て、ムカデ祭りを行った。一年に一度ある大祭には、娘を堂(祠)につれて行って渡す。するとムカデが現れてさらっていく。娘はムカデの妻になったということで、それ以後は絶対、嫁に行けない。」

……となるものがあるというのだ。なぜ生贄になった娘が「それ以後は絶対、嫁に行けない」となるのか。額面通りに取るならば、怪物への生贄(嫁入り・人柱)の話とすることによって、常の暮らしから外される娘があった、ということになる。すなわち、神の嫁としての巫女の誕生を直截に語っている事例である可能性が高い。

ところが、これが「孫晋泰一九三〇年」資料と指示されているのだが、孫晋泰『朝鮮の民話』(岩崎書店)の「大蛇(またはむかで)退治伝説」の話は上に引いた話と大差ない構成なのではあり、嫁に行けない云々の記述は見えない。問題が問題なだけに、この不明は痛い。