火塚(豊川市):一宮村長山地内の高所に四十余ヶ所の火塚と呼ばれるところがある。今は壊かれて僅に二ヶ所残っているのみであるが、大石を蓋として、石を畳んで造り、南に小口がある。もとは火穴ともいい、大昔の火の雨の降る用意の穴という。
四塚(豊川市):八幡村大字平尾字駒場に四塚というところがある。これは昔、村人が火が降ることを恐れて地に穴を掘り、内を石で囲んだものを四ツつくった。それで後世四塚という地名まで出来た。
塚穴(蒲郡市):西浦村字東山一本木下にある塚穴は、綱吉公悪政の結果、祐天和尚が「天より火雨降る」と予言し、その難を避けるために造ったものというが、家宣公に到り善政を布いたので、このことがなかったという。塚穴はこの村に尚一ヶ所あったが、それは開墾のため破壊されてしまった。
火穴(豊橋市):二川町大字大岩の火打坂、松明峠、谷川雨応山等の山麓にある穴は、昔火が降った時里人ここに隠れたもので火穴という。
火塚(新城市):八名村大字中宇利字曾根から瀧山に登る道の傍に、火塚と呼ぶ塚がある。大昔火が降った時、土を盛り上げ、この中に人が住んで居たところだという。
この他、豊橋には県下最大の横穴式石室を持つ馬越長火塚古墳もある。古墳ということでは美濃加茂郡の坂祝火塚古墳や紀伊白浜の火雨塚古墳なども見える(上に引いた各地の詳細は未調査)。
これが上州へ行っても「火雨塚」と同様の話が見え、これも古墳群であったことがわかっている。そう見ると各地にあった古墳・古墳群の説明として火の雨を避けたのだと考えたのだろうと思える。
この点、蒲郡の塚穴が綱吉悪政の結果天より火雨降ると予言され造られたものだとされているところは面白い。今は火塚・火雨塚の紹介として引いただけなのでそれ以上深い知見はないが。