中川村大沢里の後方に、三階滝がある。俚俗に兵太の滝というが、昔、兵太という者が落ちて死んだのでそういうそうな。そして、この中の滝の滝壺には、何千年ともわからぬ甲経た巨蟹が棲んでいて、折々、長九郎山などに、獲物を取りに出かけるということである。
巨蟹は時に山を越え稲取の海岸まで一時間で往来することもあるといい、その時は風も吹かぬのに山で風が唸るような声が聞こえる。今も、稲取の海浜に剪刀(はさみ)石という巨石が対立している。これは兵太の滝の巨蟹が多くの眷属とともに作り上げたものだそうな。剪刀石近くには、蟹石というのもある。
また、岩科村岩地の西北の海涯には、蟹倉窟と呼ぶ二窟があるが、ここにも、昔は巨蟹が住んでいたということである。
滝は今もあるが、大滝(おおたる)といって西伊豆町になる。大滝ランドという施設が廃墟になっていて、これがマニアの間で有名なんだそうな。大滝は落差40mの本当の大滝だが、蟹がいたのはその上の滝になるようだ。
東伊豆町稲取の「はさみ石」も健在のようだが、国道からすぐではあるが、その浜に降りるのは難事であるようで、一般の人には海からの上陸が推奨されている。
はたして巨蟹が南豆を横断する話がはじめからあったのか、はさみ石の形状ゆえに後からつながったのか。普通に考えたら後者だろうが、しかし鳴動する山々に巨蟹の移動を見た、というイメージは捨てがたい。伊豆には、そういったポジションに蟹が来る素地がある。
天城の山中にも東西の海近くにも、多く竜蛇をもって語られるような話が蟹を主役に語られる例が伊豆には多いのだ。話の稲取からそう遠くもない東伊豆町奈良本にも蟹のヌシの話がある(「太田の大蟹」)。
西伊豆のほうを見れば、小さい話だが、竜蛇の役割を蟹が代替しているような事例が目につく(「蟹淵」)。大岩と思って上で洗濯をしたり釣りをしたりしていたら岩でなく大蟹だった、というのは、倒木と思ったら大蛇だったという話と同じような感じのものだろう。
そして、ここが重要なのだが、これは蜘蛛の淵の伝説へと通じていくように思う。伊豆といえばのあの浄蓮の滝はまた、雨霧を呼ぶ大蟹の滝でもあった。まぼろしの寺・浄蓮寺とはそもそもその蟹封じにちなむという(「まぼろしの寺」)。
竜蛇と淵の蜘蛛の関係で、機織りという面以外からアプローチするとなると、おそらく蟹からとなる。その点を考える上で伊豆という土地は非常に重要なところだ。