九頭竜山

静岡県御殿場市

昔、御殿場は伊勢の御厨だった頃。御厨から箱根へは乙女峠を越えて仙石原へ出たが、仙石原には温泉が出るので、御厨の人々は秋の仕事の終わりなどにつかりに行くのだった。その時も、ひとりの旅人が乙女峠を仙石原へ越えようとしていた。

旅人はいわれるより大変な峠越えで汗まみれになり、道ばたに倒れていた太い松の木に腰を下ろして一服した。そしてまた出立しようと松の幹に手を掛けて、それが冷たくぬるぬるしたものであるのに気がついた。それは松の木ではなく、大蛇の骸であった。旅人は色をなくして引き返し、口も利けない風であった。

その夜、旅人の夢に白い髭の老人が現れ、いった。自分はおまえの腰掛けた大蛇の精だ、夏に峠を越え、芦ノ湖へ入ろうとしたが、暑さで倒れてしまったのだ、と。そして、誰も気づいてくれないので、峠の下に葬ってくれないか、という。そうすれば十二か村に水を与えよう、と。

話を聞いた村人たちが峠に行くと、そこには死骸ではなく、大蛇の骨だけが横たわっていた。皆がこれを東山の丸嶽に手厚く葬り、祠を建て祀ると、そこから清水が湧き出して、下の村々を潤した。この寒沢川の水を集めて東山湖が造られ、水の出た山は九頭竜山と呼ばれるようになった。

勝間田二郎『御殿場・小山の伝説』より要約

御殿場の古社、二岡神社の北側近くに九頭竜の石祠が今もある。これが伝の九頭竜祠の下社であったという(東山湖の傍らには、今は弁天さんが祀られていた)。

地域的に九頭竜といったら万巻上人に封じられた箱根芦ノ湖の九頭竜のことになるが、この御殿場の大蛇はまた違った存在に九頭竜の名だけ借用したという具合に見える。水神といったら九頭竜、というお定まりがあったのが箱根周辺である。

それらが同一の竜蛇だ、というわけではないが、同じ動線で移動している竜蛇ではある。おそらく、土地の第一の水場が、御厨中の大沼から芦ノ湖方へ移った、という事情を反映していると思われ、それは富士山の噴火による所が大きいのじゃないかと思う。