大蛇窪

静岡県富士宮市

大石寺の周辺は大石ガ原と呼ばれ、昔は潤井川が運んだ大石がごろごろした荒れ地だった。日興上人がそこに寺を建てた頃、その荒れ地に大蛇が住み、時々人に害を成した。めったに見ないが、見た人によると、背中に苔が生え、枯れた大木のような蛇であったという。

これを聞いた日興上人が、罪障多き者のために特別な勤行を行うので、罪業を持つ者は集まるようにと知らせた。そして、大勢が集まる前で、罪障多き者こそ、信仰により救われる、という説教をしたが、これを聞く人々の後ろに、一匹の小蛇が丸くなっていた。

人々は気がつかなかったが、それから日興上人のお説教にはいつも一匹の蛇がいるようになった。そんなある日、上人は蛇に近づき、その頭をなで、蛇身でありながら罪障を悔い説教を聞きにくるお前のために勤行をしよう、といった。

初めて蛇に気がついた人々の前で、小蛇は上人のお経が終わるやむくむくと身をくねらせ大蛇となり、お寺の境内から出ていった。驚く人々に上人は、これで大蛇の害はなくなるだろう、といった。その後、寺の東の窪地に大蛇の死体が見つかり、上人によって懇ろに弔われた。それよりその窪地を大蛇窪というそうな。

富士宮市教育委員会『富士宮の昔話と伝説』員会)より要約

大石寺は日蓮正宗の総本山。日興上人は日蓮上人の高弟で第二祖になる。そういう意味では日蓮上人と七面天女の話の流れのような気もするが(日興上人も境内の大石の上で説法したといい、その石がある)、特にこちらの大蛇が竜女であったという話ではない。

高僧が害をなす大蛇を教化しているが、それで退治した、寺の守護とした、というよりも、いわゆる大蛇済度の話、その魂を救済した話、という色合いが強い。そういった話は多く人であった者が恨みを含んで蛇と化したような存在に対するものであることが多いが。

しかし一方で、大蛇窪という地形地名の由来ともなっており、その点では地主の大蛇をおさめた話という風でもある。本来どちらを語ったものだったかというのは現状わからないが、両方の面から追っていく必要がある話といえる。