今から三百年も昔のこと。稲子の落合のはずれに、みょうそさんというお爺さんがいた。独りのみょうそさんの家ではいつも魚がおいしそうに焼かれ、里の人が行くとご馳走してくれた。里の人にはよく捕れないのに、みょうそさんは魚とりが上手かった。
村の人々はお客があると、みょうそさんに魚のご馳走を頼んだ。たくさんの御膳を頼まれても魚を捕ってくるみょうそさんは不思議だった。ある時、もっとも近くに住み、よくみょうそさんの家に行っていた西の家の人が、あまりに不思議なので魚を捕る様子を見たくなった。
それで、夜のうちからみょうそさんの家を覗いていたが、まだ夜明け前だというのにみょうそさんは仕事着に着替え、寒い中西沢川をどんどん遡って行くのだった。そして、深い淵になったところに近づくと、すうっと淵の中に入ってしまった。
西の家の人が待ち、東の空が白んでもみょうそさんは現れなかった。こわくなった西の家の人は、ふるえながら家に帰った。それっきり、みょうそさんは姿を見せなくなってしまった。それからこの淵をみょうそ淵というようになった。
稲子といっても稲子川をずっと遡った上稲子に落合の里はある。そこより西沢川をさかのぼるほうにはもう人家は見えない。「みょうそ淵」は落合の橋から150mほど西沢川をさかのぼったほうだそうな。今どのようであるのかはわからない。
「みょうそ」という名も不詳。明双と書いてそう読む地名は東三河のほうに見えるが、そのくらいしか類例が見えない。話の筋を見る限り、みょうそさんは河童のすることを同じようにしている。あるいはみょうそ河童ということなのかもしれない。
しかし河童に限らず、竜蛇が人の爺に化身して暮らしている、という話もないではない(「オバラクお爺」)。もしそうなら、非常に珍しい事例として勘定されることになる。
というのも、別にこのみょうそ淵には大鰻のヌシがいる、という話もあるのだ(「みょうそ淵の主」)。その大鰻がみょうそさんだというなら、河童の話というよりも竜蛇の話に近いといえるだろう。