昔、柳沢の渓間に怪物が棲み、風雨の夜は唸る声がした。ある初秋の暮れ、ひときわもの凄まじい咆哮とともに、嵐が訪れた。人々は息を潜め、その声と嵐が渓谷より段々と南に移っていくのを聞いた。
そして、嵐は黎明に原町の海岸松林に達し、天地が震動した。暫くして怪物の声が消えると共に雷鳴風雨が止み、黒雲が飛散して曙光が差し、人々は吐息をついた。夜が明けてみると、怪物の通路が柳沢より高橋川を下り、東縦川に沿って大帯を引くようだった。
人々はこれで、古来柳沢にすむと聞こえた法螺貝が、千歳の年を重ね、風雨を起こして海に入ったのだと知った。
今、八畳石公園といい、白隠禅師がその上で修行したという伝説の大石があるが、その大石に穴があいていて、それが伝の法螺貝が抜けた穴なのだという。
法螺貝や巨大な螺(にし・たにし)は、時として地中で鳴動し荒天を呼び、天変地異をもたらす。これが抜ける(土砂崩れなど)ことを「法螺抜け」などともいい、その伝説上の振る舞いは竜蛇の「蛇抜け」に近しい。実際、土砂災害を法螺貝から竜蛇が抜けるものだというところもある。
そういった法螺抜けの典型話がこのように沼津柳沢に語られてきた。静岡から近くだと愛知県にこの話は多く(たとえば「螺側」など)、近世の名所図・紀行文などでは浜名湖周辺の話がよく知られていたようだ。
一方、そうした伝播から外れて変質したものか、修験者の法螺貝がヌシの起こす水害を抑え、災害を予告するようになった、などという話も伊豆にはある(「法螺貝淵」)。所変われば、という事例として面白い。