野が池

長野県下伊那郡大鹿村

大河原の上蔵より半里、北の山の中腹に古い池がある。古木が欝蒼と茂り、石は滑らかに苔は冷たく、千年の眠りの残っていそうな所だ。その古池は野が池といい、大蛇が住むと伝えられ怖がられていた。

池には流れ込む水もなければ流れ出る水もないが、池を被う古木の根元に暗い洞穴があり、そこより湧き出る水が瞬く間に池に満ち濫れるかと思えば、また忽ちに枯れる。昨日は池にいっぱいの水が溜まっていたかと思えば、今日は底も見えるまでに減っている。この不思議を村人たちは大蛇の仕業と恐れている。

岩崎清美『伊那の伝説』
(山村書院・昭8)より要約

上蔵は「わぞ」と読む。野ヶ池は現在小地名としてあるようで、古池はない。長雨のときなどに、池跡に水がたまるくらいらしい。欝蒼とした原生林というのは今もそうで、この中に池があったというならさぞや、という趣ではある。

ところで、天竜川周辺を上り下りする諏訪の竜蛇神は、時々その経路に池を出現させる。竜蛇は地下を移動するのだけれど、時々外に出るので、そこに一時池沼ができる。有名処では、諏訪湖と遠州桜ヶ池を行き来する竜神が通る時に出現するという、遠州水窪の池の平の幻の池などがある。もしかしらたら、上蔵の野が池にもそういった話があったのじゃないか。