宝刀青蛇丸の話

長野県下伊那郡松川町

白沢山の白諏神社の宝物に一振りの名剣がある。昔、遠山土佐守が寄進したのだが、次のような伝説がある。昔神主がその宝刀を腰に隣村に行った際、厠へ入ったあと、刀を路傍の木に掛けたまま忘れてしまった。

幾日も経って刀はぶら下がったままだったが、刀の精が現れて、丈にも余る大蛇となったという。通りかかった百姓が、樹の上に蟠る大蛇を見て胆をつぶし、村中の評判になった。神主はそれを聞いて思い当たり、行ってみると、樹の枝に紛う方なき宝刀が掛けたままにあった。

神主は恐れ入って宝刀を取り下ろし、お宮に納めてからは、大蛇の姿は見えなくなった。宝刀は長さ一尺一寸、青蛇丸(あおろじまる)とよばれる。

岩崎清美『伊那の伝説』
(山村書院・昭8)より要約

白沢山山頂は大鹿村となり、白諏神社も山頂近くに鎮座されているので、そうなるが、伝説そのものは西麓の松川町生田のもの、となるようだ。一説に、遠山土佐守が社に参詣し霊水を頂くと、木に掛けていた刀二振が二匹の蛇となって睨んだ、霊水を汚された神の怒りであろうと刀二振を奉納した、ともいう(『生田村史』)。

ところで、この刀の名前もよく覚えておきたい。「あお・ろじ」が青蛇であり、蛇が「ろじ」。これは蛇を「のじ・なじ・なぎ」などという系統で、虹(にじ)の呼称の語形(「のじ・ねじ・ぬじ」など)と併せて見る際に重要となる名称だ。