大蛇が城

長野県下伊那郡松川町

大島の天龍川に臨んだ要害に台城があった。櫓の下に天龍川の水が渦巻いて大蛇が住むと言い伝えられ、城の名も大蛇が城と呼ばれた。雲のない晴天にも水煙が立ちこめ霧の雨となって城に降るのを人々は大蛇の仕業だといって恐れていた。

天正十年の春、伊那に侵入した織田信忠の軍勢が大蛇が城を包囲し、落城が目前となった。ところが、織田軍が火矢を射かけても、大蛇が現れ淵の水を雨と降らせて消してしまうのだった。織田勢は城を落とすには淵の大蛇を殺すほかないと、射手を揃えて隙間なく淵を射た。

しばらくすると大波が狂い起こり、天地晦冥の大雷雨となったが、雨がやんだ天龍川の水を真っ赤に染めて大蛇は淵の底深く沈んだ。こうして城は間もなく焔のうちに落城した。今でも城跡の畑を掘ると、真っ黒い焼米が出るという。

また、一説によると、大蛇が城の城兵が、城に向かって霧を吹く大蛇を不吉と忌んで射殺したともいう。そして不思議の守護を失った城は攻め落とされたのだそうな。

岩崎清美『伊那の伝説』
(山村書院・昭8)より要約

伊那の天竜川沿い、現在松川町の一般に大島城といわれる城(台城公園)がこのような「大蛇が城」だった。石見江津の蟹が迫城とか、越前坂井の丸岡城とか、三河だと岡崎城とか、武州所沢の滝之城とか、竜蛇に守られていたという城はままあるのだが、伊那にもあったということだ。

江津の蟹が迫城も雌雄の竜が霧で隠し守っていたが、城の姫を呑んでしまう雄竜を城兵が射殺してしまい、雌竜だけでは城を隠しきれずに落城したのだというのだった(この場合雌雄で相反する役割を担っている)。あるいは城を守る大蛇には両義的な側面を語る必要というのがあるのかもしれない。